|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 国鉄 : [こくてつ] 【名詞】 1. national railway ・ 鉄 : [てつ] 【名詞】 1. iron ・ 形 : [けい, かたち, ぎょう] 1. (suf) shape 2. form 3. type ・ 客 : [きゃく] 【名詞】 1. guest 2. customer ・ 客車 : [きゃくしゃ] 【名詞】 1. passenger car ・ 車 : [くるま] 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel
ヌ100形は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した事業用客車(暖房車)である。 == 概要 == 北海道などでは、客車と貨車を混結した混合列車が数多く運転されていた。しかし、途中駅での入換の関係上、機関車の次位に貨車が連結されることが多く、この場合、機関車から客車への暖房用蒸気の供給ができなくなる。そのため、客車には客室内に石炭ストーブが設置されていたが、1 - 2両ならともかく4 - 5両ともなると、ストーブを管理する車掌の負担も大きくなり、また、車内で火を扱うため、防火の観点からも問題であった。そこで、国鉄札幌鉄道管理局では、2軸車掌車に暖房用ボイラーを搭載し、客車への暖房用蒸気を供給するアイディアが考え出された。この構想によって1951年(昭和26年)から簡易暖房車として製作されたのが、本形式である。 種車となったのは、有蓋緩急車のワフ25000形で、改造は苗穂工場で実施された。改造内容は、種車の車体を撤去して新製されたボイラー、水タンク、炭庫を設置した。ボイラーの能力は、常用圧力5kg/cm²、1時間当たりの蒸発量は200kgで、全伝熱面積は14.6m²(煙管11.4m²、火室3.2m²)である。車体は全鋼製で、妻面には貫通扉が設けられ、前位側は内側に開く両開き戸、後位は片開き戸であった。乗務員室の側面には窓が1か所と片開き戸が1枚設けられた。ボイラー室の側窓は3か所(奇数側は2か所)に設けられている。給水は屋根上に設けた給水口から行い、給炭は奇数側側面上部に設けられた給炭口から行った。走行装置は(1段)リンク式の種車のままで、旧貨物室(ボイラー室)側にオフセットした車軸配置も同様である。車軸は10t長軸を使用している。全長は7,850mm、軸距は4,200mm、運転整備重量は20t、空車重量は14.60 - 15.50t、水槽容量は3m³、石炭積載量は0.5tである。 1951年3月に最初の1両が落成し、同年12月から翌1952年(昭和27年)1月にかけて4両が増備された。当初は貨車に分類されて車掌車のヨ7000形(ヨ7000 - 7004)とされたが、1952年3月にトキ900形改造の増備車が登場する際に客車(暖房車)に類別変更され、ヌ1000形に改称された。 トキ900形の改造車は、1952年に10両、1954年(昭和29年)に5両が製作されたが、1954年改造車は広島工場での改造となった。本グループはトキ900形の改造名義とはいうものの、使用されたのは連結装置ブレーキ装置程度で他は新製された。寸法的にもワフ25000形改造車と変わらないが、ボイラー室中央の側窓1枚が採光改善のため高い位置に移設された。なお、1953年(昭和28年)6月には国鉄車両称号規程改正が行われ、ヌ100形に改称された。そのため、1954年製の5両はヌ100形としての番号しか持っていない。 本形式は主に北海道で使用されたが、一部は本州の花輪線などでも使用された。1957年(昭和32年)9月には、老朽化した信越本線の横軽(碓氷峠)用のヌ600形の置換用として6両がヌ200形に改造された。その後は、北海道でも客貨分離が進み、客車にウェバスト式温風暖房装置が搭載され、気動車の導入が進んだことから余剰となり、1964年(昭和39年)に10両、1966年(昭和41年)に4両が廃車され、形式消滅した。なお、1両が苗穂工場の工作車(貨車)サ222に振り替えられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄ヌ100形客車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|