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国頭 正弥(くにがみ せいや、尚寧王3年(万暦19年、1591年) - 尚豊王15年8月1日(崇禎8年、1635年9月12日))とは、17世紀琉球王国の貴族官僚。唐名は馬瑞彩。国頭按司正弥と名乗る。国頭左馬頭の名で知られる。 == 概要 == 国頭間切総地頭の馬氏国頭御殿6世である。 琉球は1609年の琉球出兵以後、薩摩藩への国質(人質)を王族貴族から交替で常時出すことを求められていた。1614年に鹿児島へ出頭し、藩主島津家久に気に入られる。正弥は大坂の陣への出兵を聞きつけ、参陣を請い願い、これに家久は大層喜んだ。武具一式〔『中山世譜』では「甲一、具足一、大刀一、脇指一、鐵鉋二、鞍一、鐙一、轡一」。〕を与え、髪形、装束を和装に改めさせ、国頭左馬頭〔『中山世譜』では左馬守とある為、沖縄県の文献では頭、守の双方が混在している。〕と名乗らせた上に、一隊の兵を与えた。ただし、島津氏の軍勢は冬の陣、夏の陣いずれも開戦中に間に合わなかったので、実戦には及んでいない。1616年に任を解かれ帰国した。1632年にも年頭使として薩摩に来訪している。 家久より拝領した刀は家宝として昭和初期まで伝来したが、沖縄戦以後は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国頭正弥」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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