翻訳と辞書
Words near each other
・ 國木田治子
・ 國木田獨歩
・ 國本未華
・ 國本桂史
・ 國本泰功
・ 國本良博
・ 國本鍾建
・ 國本鐘建
・ 國村準
・ 國村隼
國東照太
・ 國松善次
・ 國松孝次
・ 國松彰
・ 國松明日香
・ 國松竜次
・ 國松長官狙撃事件
・ 國枝すみれ
・ 國枝博
・ 國枝孝弘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

國東照太 : ミニ英和和英辞書
國東照太[くにとう てるた]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 

國東照太 : ウィキペディア日本語版
國東照太[くにとう てるた]

國東照太(くにとう てるた、1887年1月1日 - 1972年6月11日)は、日本の政治家実業家。1938年に高松市市議会議員を経て、1946年から1967年までの官選1期公選5期の21年にわたり高松市長を務めた政治家であると同時に、高松市を中心とする企業集団「常磐グループ」の創始者たる実業家でもある。高松市名誉市民
== 来歴 ==
1887年(明治20年)1月1日香川県香川郡中ノ村(後に栗林村大字中村、現・高松市中野町)に父長太郎、母ツネの長男として生まれる。両親は家の東側を流れる川で紙の手漉き製造を生業としていた。
栗林尋常小学校(現・高松市立栗林小学校)を卒業後、10歳で紫山高等小学校(高松市天神前、現・アイパル香川)へ進学。15歳で高松市立商業学校へ入学するも、父の長太郎の死を受けて17歳で中退する。その後家業を継ぎ、製紙業を始める。1924年(大正13年)、37歳の時には常磐製紙所(現・常磐ティシュ。製紙業は2006年に廃業)を操業開始し組織化、その後工場の増設や他社の買収などで企業を拡大した。
政治家としては52歳の1938年(昭和13年)に高松市市議員選挙に立候補し、当選。2期8年の在任中は市議会議長などに選任されている。1946年(昭和21年)3月29日には官選により第12代高松市長に就任。翌1947年(昭和22年)4月7日には地方自治法の施行に伴い行われた高松市長選挙に立候補し当選。高松市最後の官選による市長であると同時に、高松市最初の民選による市長となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「國東照太」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.