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園山 勇(そのやま いさむ、嘉永元年3月3日(1848年4月6日) - 大正10年(1921年)8月14日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』349頁。〕)は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会)、長野県知事、宮崎県知事。 == 経歴 == 松江藩出身。儒臣の園山家を継ぎ、18歳で江戸に出て、安井息軒の門下に入った。帰郷後、松江藩校修道館で皇漢学の助教を命じられた〔『新選代議士列伝』〕。 1874年(明治7年)、板垣退助・後藤象二郎らが民撰議院設立建白書を提出すると、これに呼応して自由民権運動に参加した。島根県の製糸業の先覚者とされ、1886年(明治19年)、長野県で機械製糸の状況を視察し、1887年(明治20年)、島根蚕業社を設立した〔。 島根県会議員を経て、1894年(明治27年)の第3回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第4回・第5回総選挙でも再選された。 1898年(明治31年)7月、第1次大隈内閣のもとで長野県知事に就任。教育、森林行政などに尽力〔『新編日本の歴代知事』520頁。〕。翌年8月、宮崎県知事に転じた。郡制施行について尽力〔『新編日本の歴代知事』1081頁。〕。1902年(明治35年)2月、知事を休職となった〔『官報』第5578号、明治35年2月10日。〕。政党に関係していることが理由であったという〔。同年の第7回衆議院議員総選挙に当選し、議会に復帰した。その後、第10回衆議院議員総選挙でも再選された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「園山勇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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