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園池 公静(そのいけ きんしず、1835年7月20日(天保6年6月25日)- 1919年(大正8年)10月8日〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、804-805頁。〕)は、幕末の公家、明治期の内政官僚。第一次奈良県知事、子爵。 ==経歴== 左近衛権中将〔・園池実達の二男〔『明治維新人名辞典』551頁。〕として生まれる。嘉永3年1月(1850年)に元服し昇殿を許された。右京大夫を経て、元治元年6月(1864年)右近衛権少将に任官〔『明治維新人名辞典』551頁。〕。 慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控となる〔〔『幕末維新大人名事典』下巻、13頁。〕。慶應4年1月5日(1868年1月29日)書記御用掛となる〔『百官履歴 上巻』293頁。〕。 慶応4年7月29日(1868年9月15日)奈良府知事に就任。明治2年7月17日(1869年8月24日)奈良府が奈良県に改称され引き続き同県知事を務めた〔〔。明治3年8月19日(1870年9月14日)知事を免官〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』104頁。〕。同年9月17日(10月11日)侍従に就任〔。以後、滋宮祗候・明宮祗候を務めた〔。 1885年7月8日、子爵を叙爵した。1915年4月15日に隠居し〔『官報』第818号、大正4年4月27日。〕、同月30日に長男実康が襲爵した〔『官報』第822号、大正4年5月1日。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「園池公静」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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