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圓照寺 : ウィキペディア日本語版
圓照寺[えんしょうじ]

圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、奈良市山町にある臨済宗妙心寺派の尼寺。山号は普門山(ふもんざん)。斑鳩中宮寺佐保路法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院である。華道の「山村御流」の家元でもある。別名、山村御殿(山村御所)
三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する「月修寺」は、圓照寺をモデルに描かれている〔(有元、2009)、pp.7 - 11〕。非公開寺院のため拝観は不可となっている。
== 歴史 ==
後水尾天皇の第1皇女であった文智女王幼名・梅宮)は、寛永17年(1640年)、22歳で一糸文守(仏頂国師)を師として出家し、大通文智尼となった。大通文智は翌寛永18年(1641年)、京都修学院の地に草庵を結んだ。これが圓照寺の始まりである〔『日本名刹大事典』、p.58〕。
明暦元年(1655年)、後水尾による修学院の山荘(修学院離宮)の造営にともなって圓照寺は移転を迫られ、翌明暦2年(1656年)、継母である中宮東福門院徳川秀忠の娘)の助力により、大和国添上郡八嶋の地(奈良市八島町)に移り、八嶋御所と称した。さらに、東福門院の申請により、幕府から200石(のちに300石に加増)の寄進を得て、寛文9年(1669年)、八嶋の近くの山村(奈良市山町)の現在地に再度移転した。以後も歴代住持として皇女が入寺し、山村御所と呼ばれた〔『日本名刹大事典』、p.58〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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