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土井 利位(どい としつら)は、下総古河藩の第4代藩主。土井家宗家11代。江戸幕府の老中首座。雪の結晶の研究を行い「雪の殿様」の異名で知られる〔早川・176-177頁〕。 == 生涯 == 寛政元年(1789年)5月22日、三河刈谷藩主土井利徳の四男として生まれる。本家の古河藩主土井利厚の実子が早世していたため、文化10年(1813年)にその養子に迎えられた。文政5年(1822年)に養父が死去したため、家督を継いだ。 奏者番・寺社奉行を歴任して大坂城代となるが、利位が大坂城代のときに大坂町奉行組与力の大塩平八郎が武装蜂起し(大塩平八郎の乱)、その鎮圧を担当した。その功績により、京都所司代に抜擢され、天保10年(1839年)に老中に任命された。 藩政においても天保2年(1831年)から鷹見泉石を家老に登用し、藩政改革を行なっている。 天保12年(1841年)1月に大御所徳川家斉が死去し、5月に老中首座水野忠邦による天保の改革が始まると、利位は忠邦に協力して改革に参与した。ところが天保14年(1843年)、忠邦が打ち出した江戸・畿内周辺に対する上知令に関しては、自らの所領が畿内にもあったために反対し、反水野派の中心人物となる。水野派の鳥居耀蔵らの裏切りもあって忠邦を辞任に追い込み、その後を受けて老中首座に任命された。 利位は幕府財政再建のため、水野時代から続いていた倹約令を継続し、さらに百姓や旗本の生活苦を救うため救済策に尽力する一方で、弛緩していた武士道の引き締めにも力を入れるなどしている。利位の老中首座としての幕政担当期間はわずか10ヶ月という短期間であるが、大坂で米の先物取引を行なうなどして一時的に幕府財政を黒字に好転させるなど、手腕を発揮しているのも確かである。 ところが天保15年(1844年)、江戸城本丸に火災が起こり、その再建のための資金調達を第12代将軍徳川家慶に命じられたが、利位は諸大名から十分な献金を集めることが出来ずに家慶の不興を買い、さらに6月21日にはオランダをはじめとする外国問題の紛糾もあって、水野忠邦が老中首座として復帰してしまう。このため、利位は忠邦の報復を恐れて自ら老中を辞任した。 嘉永元年(1848年)4月25日、養子の利亨に家督を譲って隠居する。直後の7月2日に死去した。享年60。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土井利位」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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