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土井 利教(どい としのり)は、三河刈谷藩の第9代(最後)の藩主。刈谷藩土井家12代。 == 生涯 == 弘化4年(1847年)、播磨林田藩主建部政醇(聖岡)の次男として生まれる。慶応2年(1866年)7月19日に第8代藩主土井利善の隠居により、その養子として家督を継ぎ、12月18日に従五位下・淡路守に叙位・任官する。建部氏から養子を迎えたのは、建部氏が佐幕派であり、土井家中の尊皇攘夷派を掃討して親幕を示すためだった。 慶応3年(1867年)から財政再建を中心とした藩政改革に着手した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争に際し、藩内は佐幕派と尊王派で対立した。2月16日、勤王派18人の藩士が佐幕派の3人の家老を暗殺し、ようやく藩内の意見は勤王でまとまった。2月25日、藩主利教は上洛した。3月6日、明治天皇に拝謁した。閏4月29日、新政府から駿府城の守備を命じられた。 明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により刈谷藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免職された。その後、東京へ移ったが、明治5年(1872年)11月14日に死去した。享年26。養子の忠直(松平忠固の五男で松平忠礼の実弟)が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土井利教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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