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土居 明夫(どい あきお、1896年(明治29年)6月30日 - 1976年(昭和51年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 旧土佐郷士、警察署長・土居正明の二男として生まれる。海南中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第11連隊付となる。1920年(大正9年)9月から翌年11月まで、シベリア出兵に出征。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を優等で卒業し騎兵第11連隊中隊長に就任。 1928年(昭和3年)12月、陸軍騎兵学校教官に就任し、参謀本部付を経て、1932年(昭和7年)1月から1934年(昭和9年)9月までポーランド・ソ連に駐在した。 1932年(昭和7年)8月、騎兵少佐に昇進。1934年(昭和9年)9月、騎兵学校教官となり、参謀本部員(ロシア課)などを歴任し、1936年(昭和11年)8月、騎兵中佐に進級。1937年(昭和12年)11月、兼大本営第5課長となり、ソ連大使館付武官に転じ、1938年(昭和13年)7月、騎兵大佐に昇進した。 1940年(昭和15年)3月、参謀本部ロシア課長に発令され、参謀本部作戦課長を経て、第3軍参謀副長に転じ満州に赴任。1941年(昭和16年)10月、陸軍少将に進級し太平洋戦争を迎えた。 1942年(昭和17年)7月、第3軍参謀長に就任し、関東軍情報部長を経て、第13軍参謀長に異動。1945年(昭和20年)3月、陸軍中将に進み上海で終戦を迎えた。 1946年(昭和21年)7月、南京政府国防部顧問となり、1948年(昭和23年)10月に帰国。1951年(昭和26年)3月から1976年(昭和51年)3月まで、大陸問題研究所長に在任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土居明夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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