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土岐朝旨 : ミニ英和和英辞書
土岐朝旨[とき ともむね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つち]
 【名詞】 1. earth 2. soil 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [むね]
 【名詞】 1. purport 2. principle 3. instructions 4. will 5. thinking 

土岐朝旨 : ウィキペディア日本語版
土岐朝旨[とき ともむね]
土岐 朝旨(とき ともむね、安永2年(1773年)〔『新訂寛政重修諸家譜』巻5では明和7年(1770年)生まれ。〕 - 天保9年6月21日1838年8月10日))は江戸時代後期の旗本。官位は従五位下肥前守豊前守。通称は金三郎〔『新訂寛政重修諸家譜』巻5(1964年)〕。字(あざな)は承之。号は愚叟(ぐそう)。江戸崎土岐氏の一族。
土岐朝貞の3男で、深津定種の養子である深津盛徳の3男。母は水野守鑑の娘。正室は小長谷時懋の娘。子〔『群馬県立歴史博物館紀要』第23号,2002年(土岐氏系図)〕に朝昌頼旨、娘(松平信敏室・松平信璋母)、娘(遠山景纂室)などがいる。
天明5年(1785年)に土岐朝堯末期養子となり、翌天明6年(1786年3月6日に遺跡を継承する。寛政6年(1794年8月26日に小納戸へ入り、9月10日に小姓となり、寛政9年(1797年2月27日に西丸小姓となり11代将軍徳川家斉の世子徳川家慶に仕えた。
享和2年(1802年4月に西丸小姓頭取、文化11年(1814年12月1日小姓組番頭格、御側御用取次見習となり、文化14年(1817年6月1日御側御用取次となり1400石を加増された。以後も加増が続き、最終的に家禄は7000石となった。天保8年(1837年4月2日大御所となった家斉の御用も務め、翌天保9年(1838年)6月21日に死去。享年66。家督は子の朝昌が相続した。 
著作に『善事須修(ぜんじしゅしゅう)』・『武家必用童形用心大略』・『幼童教諭本具三郎宝』など。
== 経歴 ==

* 天明6年(1786年3月6日、家督相続。知行は600石。
* 寛政6年(1794年8月26日、小納戸。9月10日、小姓。
* 寛政9年(1797年2月27日、西丸小姓
* 享和2年(1802年4月、西丸小姓頭取
* 文化11年(1814年12月1日小姓組番頭格、御側御用取次見習
* 文化14年(1817年6月1日、御側御用取次、1400石加増
* 文政10年(1827年5月7日、2000石加増
* 天保7年(1836年9月4日、3000石加増
* 天保8年(1837年4月2日、家斉御用も兼任
* 天保9年(1838年)6月21日、死去。享年66。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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