翻訳と辞書
Words near each other
・ 土岐雄三
・ 土岐頼世
・ 土岐頼之
・ 土岐頼元
・ 土岐頼功
・ 土岐頼員
・ 土岐頼寛
・ 土岐頼寧
・ 土岐頼布
・ 土岐頼康
土岐頼徳
・ 土岐頼忠
・ 土岐頼旨
・ 土岐頼次
・ 土岐頼武
・ 土岐頼殷
・ 土岐頼潤
・ 土岐頼煕
・ 土岐頼益
・ 土岐頼知


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

土岐頼徳 : ミニ英和和英辞書
土岐頼徳[とき よりのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つち]
 【名詞】 1. earth 2. soil 

土岐頼徳 : ウィキペディア日本語版
土岐頼徳[とき よりのり]

土岐 頼徳(とき よりのり、1843年10月8日天保14年9月15日) - 1911年明治44年)5月12日)は、明治期の医師日本陸軍軍医。最終階級は陸軍軍医総監少将相当官)。美濃国出身。
== 経歴 ==
1843年10月8日((旧暦)天保14年9月15日) 美濃国山縣郡下伊自良村小倉(現岐阜県山県市)の医師高井松亭の長子に生まれ、幼名を孝太郎と称した。長じて漢学を学び、名古屋の麻生頼三に西洋医学を学び、京都の出て巖垣六藏・廣瀬元恭に就いて漢方医学を修める〔「日本人名大事典(新撰大人名辞典)復刻版 4巻」 P393「土岐頼徳」の項(下中邦彦編 平凡社 1979年)〕。1862年文久2年)伊勢の土井郁之助、1866年4月(慶応2年3月)幕府の西洋医学所教授坪井芳州の塾に入り医学所に入校した〔。
明治維新後、姓を高井家(高井氏は美濃土岐氏の分流)の本姓土岐に変え頼徳と名を改めた〔。1869年(明治2年)昌平学校(旧昌平校)・開成学校医学校(旧医学所)が統合された『大学』の准少寮長となり、長谷川泰石黒忠悳らと学生を監督した〔」〕。1874年(明治7年)2月陸軍軍医に任ぜられ、9月軍医正となり、1875年(明治8年)陸軍士官学校戸山幼年学校付けを命ぜられた後、1877年(明治10年)新選旅団(強靭な薩摩士族に対抗するため全国の士族志願者を募集し、「巡査」として臨時採用して編成した旅団)医長として西南戦争に従軍した〔。その後、1891年(明治24年)4月11日近衛師団軍医部長となり、1894年(明治27年)第二軍軍医部長として日清戦争に従軍し、その功により1895年(明治28年)4月21日軍医総監(少将相当)〔『官報』第3587号「叙任及辞令」1895年6月15日。〕に任じられ、同年8月勲二等旭日重光章を賜った〔。
1896年(明治29年)台湾総督府陸軍局軍医部長に就任した〔。同年5月10日突然休職となり1901年(明治34年)5月10日予備役に編入され、1911年(明治44年)5月12日死去する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「土岐頼徳」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.