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土師ニサンザイ古墳(はぜにさんざいこふん)は、大阪府堺市北区百舌鳥西之町にある前方後円墳。百舌鳥古墳群を構成する古墳の1つ。 宮内庁により「東百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第18代反正天皇の空墓)として陵墓参考地に治定されている。 == 概要 == 百舌鳥古墳群の南東の端に位置する。「ニサンザイ」は「ミサンザイ」すなわち「ミササギ(陵)」の転訛したものと考えられており、現在も宮内庁によって反正天皇空墓として陵墓参考地に治定されている。 墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘は3段築成で、現在の墳丘長は290メートル。左右には造り出しを有する。2012年に墳丘裾の護岸工事の際に行われた調査において、現在の墳丘の端から5メートル外側の濠の底から本来の裾部分が検出されたため、本来の墳丘長は300メートル以上で全国第7位の規模になるとされている〔"ニサンザイ古墳、300メートル超えか、国内7位に" (朝日新聞デジタル)。〕。 墳丘周囲には周濠が巡らされている。現在のものは一重であるが、二重目の濠が一部確認されている。この周濠には木橋が架けられていたことが判明しており、検出された橋脚柱穴によればその規模は幅約12メートル・長さ45メートル以上と古墳時代最大級になるが、短期間で撤去されていることから葬送用の一時的な橋であったと推測される〔"堺のニサンザイ古墳の周濠に柱穴列 5世紀、葬送用の橋か" (日本経済新聞、2013年2月21日記事)。 "陵墓参考地ニサンザイに巨大橋 -古墳時代最大、幅12メートル-" (共同通信、2016年1月27日(47NEWS))。 "古墳時代最大規模の木造橋を確認 葬送儀礼用か 大阪" (朝日新聞デジタル、2016年1月27日記事)。〕。 同じ百舌鳥古墳群の田出井山古墳が反正天皇陵に比定されているが規模が小さいために、こちらを反正天皇陵とする説がある。5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しい。 陪塚は3つ以上あったとされるが、大阪府立大学中百舌鳥キャンパス(大阪府堺市中区学園町)構内にある聖塚のみが現存している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土師ニサンザイ古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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