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大枝 諸上(おおえ の もろがみ、生没年不詳)は、奈良時代末期から平安時代初期の官人。氏姓は土師宿禰のち大枝朝臣。大和介・土師和麿の子。『大日本古文書』にある土師諸土、『続日本紀』にある土師諸士は同一人物と想定される〔『日本古代人名辭典』第五巻,1419頁〕。官位は正六位上・兵部少丞。 == 経歴 == 宝亀3年(772年)造東大寺史生に任ぜられる〔『大日本古文書』〕。延暦8年(789年)に征東将軍・紀古佐美が蝦夷のアテルイらに大敗した巣伏の戦いでは別将として出陣するが、戦死を逃れ残兵を率いて帰還した〔『続日本紀』延暦8年6月3日条〕。 延暦9年12月30日(791年2月11日)に桓武天皇の生母である高野新笠の一周忌に伴い、同じ系統であるとして〔諸上の大叔母に真妹を当てる系図がある(中田憲信編『好古類纂』第10集毛利家譜)〕土師宿禰から大枝朝臣に改姓した(この時の位階は正六位上)〔『続日本紀』延暦9年12月30日条。ただしこの記事では土師諸士となっている〕。なおこれより先に、高野新笠の母・土師真妹に正一位が追贈された際、同族の菅原真仲と土師菅麻呂が同時に大枝朝臣が授けられているが〔『続日本紀』延暦9年12月1日条〕、諸上への改氏姓はこれに遅れている。 本貫は河内国にあったが、延暦15年(796年)には右京(平安京)に貫付されている〔『日本後紀』延暦15年7月紀〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大枝諸上」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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