|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 土 : [つち] 【名詞】 1. earth 2. soil ・ 御 : [ご, お, おん, み] 1. (pref) honourable 2. honorable ・ 御門 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence ・ 門 : [もん] 1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons ・ 通 : [つう] 1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. ・ 方 : [ほう] 1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way
中院 通方(なかのいん みちかた、文治5年(1189年) - 暦仁元年12月28日(1239年2月3日))は、鎌倉時代前期の公卿、故実家で歌人。源通親の五男。母は藤原範子。中院家の祖とされている。土御門 通方とも。 == 生涯 == 6歳で従五位下を授けられ、翌年には父の知行国であった因幡国が与えられる。建暦元年(1211年)に蔵人頭となって翌年に公卿に列した。以後、参議・検非違使別当・権中納言を歴任するが、承久の乱後恐懼処分を受けて謹慎した。乱後は姉の承明門院とその孫邦仁王(土御門天皇の子、後の後嵯峨天皇)を後見した。 安貞元年(1227年)中納言となり、2年後に権大納言に転じる。その間に宮廷行事における服装などの有職故実についてまとめた『飾抄』を著した。歌人としては『新勅撰和歌集』他に10首収められている。暦仁元年(1238年)大納言に昇ったものの、間もなく病で倒れ、その年の暮れに50歳の生涯を閉じた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中院通方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|