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土橋宏由樹 : ミニ英和和英辞書
土橋宏由樹[どばし ひろゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つち]
 【名詞】 1. earth 2. soil 
土橋 : [どばし]
 【名詞】 1. an earthen bridge 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 

土橋宏由樹 : ウィキペディア日本語版
土橋宏由樹[どばし ひろゆき]

土橋 宏由樹(どばし ひろゆき、1977年11月27日 - )は、山梨県甲府市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィルダー
ヴァンフォーレ甲府に在籍していた土橋功は実兄。
== 来歴 ==
高校卒業後、ドイツ留学を経て1998年ヴァンフォーレ甲府へ入団。守備的MFとしてレギュラーを獲得していたが負傷を頻発させ〔、年単位での出場試合数にばらつきがあった。同じ地元・山梨出身の仲田建二とともに経営危機問題に直面していた甲府を支え続けていたが、世代交代や怪我の影響により2005年は出場機会がなく、チームのJ1昇格が決まる直前に戦力外通告を受けた。なおフランチェスコ・トッティにならった「ドッティ」というニックネームはこの当時の同僚だった小倉隆史の命名。
2006年より北信越フットボールリーグ松本山雅FCに移籍、同チームの礎を築く。開幕戦では同じく甲府より入団した白尾秀人とのコンビで昨年度優勝の長野エルザSC(現AC長野パルセイロ)を攻守に渡って圧倒するなどその力はこのランクでは傑出しており、後に信州ダービーと呼ばれる因縁の対決はこの試合より始まったとされる。また甲府時代の経験を生かし、ファン拡大のため率先して街頭活動を行うなど献身的な姿を見せていた。翌2007年にはキャプテンに就任。後期の信州ダービーでの2得点を含む13試合6得点を挙げる活躍をみせ、チームの優勝の立役者になるとともに最優秀選手賞に選ばれた。しかし全国地域リーグ決勝大会では1次ラウンド敗退しJFL昇格はならなかった。この年のオフに松本側から提示されたコーチ就任を断り〔AC長野パルセイロ・土橋宏由樹 胸に熱くプロの誇り 読売新聞、2008.05.03〕、同じリーグに所属するAC長野パルセイロへ移籍した。共にJリーグ入りを目指す同県のライバルチームへの移籍は当時物議を醸し、FCバルセロナからレアル・マドリードへ移籍したルイス・フィーゴになぞらえ「信州のフィーゴ」の異名がついた。
2008年シーズンはリーグ優勝するも再び全国地域リーグ決勝大会で敗退、続く2009年JFL昇格はならなかった。2010年にはキャプテンに就任、山雅とパルセイロの両チームでキャプテンをつとめた初めての人物である。この年から監督に昇格した薩川了洋とのコンビでリーグ優勝。自身三度目の全国地域リーグ決勝大会で準優勝して悲願のJFL昇格を果たす。2011年シーズンも二年ぶりとなる信州ダービーで先制ゴールを決める(これがこのシーズン唯一で、現役最後のゴール)など序盤は健在振りを示すが積年の膝の故障を悪化させ、この年限りで引退する。
2012年からはAC長野のアンバサダーとして活動。同年12月16日に行われた引退試合は、彼と同時期に松本と長野に在籍した40人余りの選手による信州ダービーOB戦であった。
中盤の底でパスを振り分けるのがプレースタイルだが運動量はさほど多くはない。甲府では一時期DFもこなした。引いてカウンターを狙う松本では積極的に前線に飛び出す場面が多かったが、長野ではバランサーや汚れ役として相手サポーターにブーイングを浴びるほど老獪なプレーに徹していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「土橋宏由樹」の詳細全文を読む




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