|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 土 : [つち] 【名詞】 1. earth 2. soil ・ 肥 : [こえ] 【名詞】 1. manure 2. night soil 3. dung 4. fertiliser 5. fertilizer ・ 一 : [いち] 1. (num) one
土肥 淳一郎(どひ じゅんいちろう、1906年(明治39年)11月 - 1997年(平成9年)5月3日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、744頁。〕)は、日本の医学者、皮膚科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。東京慈恵会医科大学附属青戸病院・東京慈恵会医科大学附属病院院長を歴任し、私学として初の日本皮膚科学会会頭を務めた〔『臨床皮膚科』22巻3号1968/3/1 p. 284-285〕。医学博士(1937年、東京帝国大学)。祖父は皮膚科学の権威で日本皮膚科学会創立者土肥慶蔵、父は元国立金沢病院院長で日本皮膚科学会名誉会頭土肥章司。子の土肥孝夫は、麻布中学校在学中1954年に内郷丸遭難事件で犠牲となった〔歴史が眠る多磨霊園 土肥章司 〕。 == 来歴 == *1906年東京府生まれ。麹町小学校、府立一中(現・都立日比谷高校)、第一高等学校 (旧制)卒業。 *1931年 - 金沢医科大学 (旧制)卒業 *1937年 - 医学博士(東京帝国大学) *1943年 - 東京慈恵会医科大学皮膚科学教室助教授 *1946年 - 同教授 *1963年 - 東京慈恵会医科大学附属青戸病院院長、皮膚科教室を創立〔http://www.jikei-doso.jp/newspaper/pdf/pdf144.pdf〕 *1966年 - 東京慈恵会医科大学附属病院院長 *1969年 - 第68回日本皮膚科学会会頭 *1972年 - 同定年退官、同名誉教授 *1977年 - 勲三等旭日中綬章 1997年心不全により東京都麻布にて逝去〔http://www.jikei-doso.jp/newspaper/pdf/pdf510.pdf〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「土肥淳一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|