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在原 善淵(ありわら の よしふち)は平安時代前期の貴族。四品・高岳親王の子で、平城天皇の孫にあたる。 == 経歴 == 薬子の変で父・高岳親王が皇太子を廃された後、臣籍降下して在原朝臣を賜姓される。 嘉祥3年(850年)4月17日に正六位上から従五位下に叙爵。斉衡3年(856年)正月7日に従五位上に進み、6月14日に大舎人頭に任ぜられる。11月21日には中務少輔に転じた。天安2年(858年)正月16日に紀伊守となり地方官に転じ、貞観元年(859年)11月19日、正五位下に昇叙。同年12月21日に大和守に転任し、翌年8月26日に内匠頭となり京官に復した。 貞観4年(862年)2月14日、大蔵大輔に任ぜられる。貞観5年(863年)2月10日に内匠頭、3月28日には次侍従に補任。貞観6年(864年)の正月に従四位下・紀伊守に叙任され、3月8日には山城権守に転じた。貞観9年(867年)2月11日に神祇伯に任ぜられ、4月19日に河内権守を兼任。貞観10年(868年)正月、従四位上・近江守となり、ほどなく大和権守となる。 貞観11年(869年)の正月には再度山城権守となり、貞観14年(873年)に大和守に転じた。貞観17年(875年)2月2日卒去。享年60。最終官位は從四位上行大和守〔『日本三代実録』貞観17年2月2日条。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「在原善淵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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