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地割役(じわりやく)は、江戸の町の地割を担当する役人で、町地の受渡しに町奉行所の役人や町年寄とともに立合った。町方を支配する町奉行の下に町年寄三家があり、地割役はその下に付随した。 == 概要 == 当初、町方の地割・地渡しにともなう土地の測量業務は、町奉行の依頼によって、大工頭の木原内匠という者が担当していた。木原は検地道具と役人を出張させて業務にあたったが、依頼件数が増加したため、これらの役人たちを町方で引きうけることにした。木原内匠の親類であった木原勘右衛門が、以後町方地割常役人として勤めることになり、日本橋南通一丁目と本石町三丁目の会所地に拝領屋敷が与えられた。しかし、三代目与右衛門が不行跡により宝永7年(1710年)2月に解任される。 そのため、同年に日本橋の名主であった樽屋三右衛門(たるや さんえもん)が木原氏に代わって地割役を勤めることになる。三右衛門の先祖は、町年寄樽屋の先祖であった樽三四郎の次男・惣兵衛である。三右衛門は通一丁目新道にあった木原の居宅(480坪)を拝領し、勘右衛門の時代から仕えていた手代たちを召抱えて業務にあたった。この地割役は樽屋の分家として当主は代々三右衛門を名乗り、名主役の樽屋と分離している。 慶応4年(1868年)4月、維新政府は、町年寄3人の職務多忙を理由に地割役・三右衛門を「町年寄並(なみ)」とした。地割役が町年寄に準ずる業務と考えられており、町地の地割役の業務が町年寄役の補完的役割を果たしていたからであった。 明治2年正月、樽三右衛門は町年寄達とともに免職となり、その後の事は明らかとなっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「地割役」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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