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「鉄道唱歌」(てつどうしょうか)は、明治時代に作詞された唱歌。。第1集東海道編第1番の歌詞である、「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり……」は広く知られている。 長らく日本一歌詞が長い歌だったが、1987年に発表された「石坂まさを一人旅して─全国我が町音頭」(県別編・市町村編合わせて3355番)に記録を大幅に塗り替えられた。また、一部のカラオケでは第一集66番をすべて歌うことができ、その曲長は15分59秒であり、カラオケで収録されている歌としては有数の長さを誇る。 ==経緯== 大阪の出版社「昇文館」を主宰する市田元蔵が企画し、大和田建樹に作詞を、多梅稚と上眞行(うえ・さねみち)に作曲を依頼したことから「鉄道唱歌」は誕生した。しかし、昇文館の経営状態はすでに悪化していた。1900年5月10日に第1集東海道篇を発売したものの、印刷部数はわずか3,000部であり、宣伝資金もなかったために、ほとんど売れないまま、昇文館は倒産した。 この「鉄道唱歌」の版権を市田から買収したのが、大阪で楽器店(現在の三木楽器)を営んでいた三木佐助である。第1集東海道篇は三木によって再度出版され、楽団を乗せた列車を走らせるなどの奇抜な広告戦略の効果もあって大流行した。さらに、この年の年末までに第5集までが発表された。詞はいずれも大和田建樹によるもので、曲は第1集・第2集が多梅稚と上眞行、第3集が多梅稚と田村虎蔵、第4集が納所辨次郎と吉田信太、第5集は多梅稚が2種といったように、各曲に2つずつつけられた。これは「鉄道唱歌」が書籍の形式で販売されたので、「読者に好きな方を歌ってもらおう」という、最初の企画者・市田元蔵のアイディアだったといわれている。だが第1集から第3集、そして第5集の曲の1つであった多梅稚のそれが、抒情的な上眞行の曲よりも、ヨナ抜き音階のピョンコ節でメロディーが覚えやすく、余りにもテンポがよく旅情がそそられるといった事情のためか広く歌われるようになって、他の方の曲はほとんど歌われなくなってしまった。現在知られているのはもちろん多梅稚の曲である。ちなみにテンポ良く聞こえるのは歌詞が7音、5音、7音、5音、7音、5音、7音、5音となっているのも要因の一つである。 「地理教育鐵道唱歌」と銘打たれているように、元々は子供の地理の学習のために作られた曲であった。膨大な詞の中に沿線の地理や歴史、民話や伝説、名産品の紹介を織り込んだこの曲は、大人の間でも人気となった。そのため、発表直後から模倣作品が多く製作された〔和崎光太郎、京都番組小学校における唱歌教育の導入 〕。 なお東京都千代田区の交通博物館(2006年5月閉館)には、大和田建樹直筆の鉄道唱歌第一番の歌詞が飾られていた。また、この交通博物館の最終営業日の閉館時には、この歌を歌い閉館を惜しむ人たちが見られた。現在、大和田建樹の直筆書は埼玉県さいたま市の鉄道博物館に所蔵されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鉄道唱歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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