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地附山(ぢづきやま)は長野県長野市の北西側にある山。標高は733m。裾花凝灰岩層で形成される山で、風化により凝灰岩が変質し粘土質鉱物のモンモリロナイトと呼ばれるものになり、粘土質鉱物が災害の際のすべり層となった。 == 歴史 == === 観光開発 === 1960年(昭和35年)6月、観光都市を目指した長野市は、五か年計画による観光開発案を策定した。これは、善光寺を観光の中心にし、その周辺の大峰山・地附山・飯綱高原一帯を観光地に開発しようとするものだった。 地元資金によって設立された長野国際観光株式会社は、地附山を中心に観光開発に取り組み、1961年(昭和36年)春の善光寺御開帳と長野産業文化博覧会に合わせ、雲上殿近くから地附山頂まで善光寺ロープウェイが設置され、3月に運転を開始した。当時ゴンドラは県下では初めてで、雲上台駅の駅舎は鉄筋で食堂もあり、その規模も全国一と言われた。 山頂には、食堂・遊園地・動物園・スキー場・観光リフトがあり、雲上台駅東側には6ホールをもつゴルフ場の開発、市街地を見見下ろす大展望浴場をもつ善光寺ヘルスセンターが開館し、当時はとても賑わっていた。 しかし、1964年(昭和39年)8月に有料道路の戸隠バードライン(戸隠有料道路)が完成、地附山側に上松料金所が設置された。これにより地附山が通過点となってしまい、地附山観光は低迷していった。1971年(昭和46年)に長野国際観光株式会社は閉鎖し、ロープウェイは市開発公社に移譲されたが、1974年(昭和49年)4月に運休、1975年(昭和50年)10月に廃止となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「地附山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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