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坂上 国麻呂(さかのうえ の くにまろ〔旧仮名遣いでの読みは「さかのうへのくにまろ」〕、生没年不詳)は、日本の飛鳥時代の人物である。姓は直。大義冠・坂上首名の子とする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻9,東漢直(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕。 672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側の高市皇子に従って都を脱した。 == 経歴 == 坂上氏は倭漢氏(東漢氏)に属する渡来系の氏族である。壬申の乱が勃発したとき、坂上国麻呂は近江大津京にいたらしい。大津京にいた高市皇子は、父の大海人皇子の挙兵を知って京を脱出し、6月25日に鹿深を越えて積殖山口で大海人皇子の一行に合流した。このとき高市皇子に従っていたのが、民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、古市黒麻呂、竹田大徳、胆香瓦安倍であった。鹿深は近江国甲賀郡のあたりである。積殖山口は後の伊賀国阿拝郡柘植郷(現在の伊賀市柘植)と推定され、当時は伊勢国に属した。国麻呂のその後の行動については記録がない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂上国麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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