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坂井 寛子(さかい ひろこ、1978年11月3日 - )は、福井県福井市出身のソフトボール選手。ポジションは投手(右投げ)。2004年、アテネオリンピックで銅メダルを獲得。2008年、北京オリンピック金メダリスト。2009年まで、群馬県・高崎市の太陽誘電ソフトボールチーム所属。無類のドラえもんファン。好きな曲は湘南乃風の『黄金魂』。「シュートボールで名を馳」せ、「数々の経験で培った、打者との間・巧みなボールの出し入れで相手を手玉に取る、日本を代表する投手」〔 B.B.MOOK 583『金メダリストに学ぶソフトボール』ベースボール・マガジン社、2008年 、12、97頁。ISBN 978-4583615745〕 である。モットーは、グローブにもその字を刻む「無心」(「心の中の雑念を捨てること。悪い事だけでなく、良い事も雑念は、雑念」)〔Wilson - メンタルアドバイス 〕。座右の銘は「今 頑張れ!今頑張らなくて、いつ頑張る!」。 == 経歴 == ===ソフトボールへの道=== ソフトボール部の顧問であった兄の担任から、「『(背丈が)でっかいけど、(ソフトボール)やってみないか?』と誘われた」〔Wilson - 坂井寛子インタビュー1 〕 のを契機に、金沢市の長田中学校で通常の部活動としてソフトボールを始める。不器用でどちらかと言えばスポーツが苦手だったが、長身とリーチを生かした投げ込みに熱心に取り組み、たちまち頭角をあらわす。 1997年に金沢高等学校卒業。「高校を卒業したら、お菓子屋さんになりたかった」 〔『読売新聞』2008年2月6日付。 坂井寛子インタビュー3 によれば、当時は、社会人になってもソフトボールを続けられることを知らなかったという。〕が、埼玉県戸田市の戸田中央総合病院がたまたま投手を必要としていることを知らされ、同病院ソフトボールチームに入部。エースとして活躍し、1部リーグの決勝トーナメントでも闘えるチームへと押し上げる。 2001年に星野昭・日本ソフトボール協会女子強化委員長(現・川越東高等学校校長)よりシュートを伝授され、以後決め球となり、翌2002年には最多勝投手に輝く。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂井寛子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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