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坂口 憲政(さかくち のりまさ、1946年11月23日 - )は日本のバレーボール指導者。現在はバレーボールチャイニーズタイペイ女子代表監督。 == 来歴 == 鹿児島県指宿市出身。県立指宿高校から日本体育大学に進学し、バレーボールの理論面や指導面を学ぶ。 1969年4月、日本女子経済短期大学(現:嘉悦大学)に教員として着任。同短大ではまだバレーボール部がなく同好会しかなかった。同好会のコーチを2年務め、3年目にバレーボール部に昇格させ初代監督に就任した。 関東大学バレーボール連盟に加盟し、1973年春季リーグ9部からスタートした同チームは無敗の快進撃を続け、1977年秋の入替戦で国士舘大学を破り、念願のリーグ1部昇格を果たした。 1985年のユニバーシアード神戸大会では女子チームのコーチとして指導にあたった〔1985ユニバーシアード夏季大会報告書 発行・編集:(財)日本体育協会 195-198ページ〕。その後、1999年パルマ・デ・マヨルカ大会から2003年大邱大会まで3大会連続でユニバ代表コーチや監督を務めた〔月刊バレーボール 1999年7月号 日本文化出版社刊行 62-69ページ〕〔月刊バレーボール 2001年9月号 日本文化出版社刊行 66-71ページ〕〔月刊バレーボール 2003年9月号 日本文化出版社刊行 44-47ページ〕。 この間、国内では1992年の全日本インカレにおいて、短大としては初の全国優勝を成し遂げた。2年で選手がすべて入れ替わる短大での指導を「技術面を追い求めるのではなく人作りにつきる。日常面で監督と選手の2人3脚だった」と坂口は述べている。同校からは、横山雅美(元デンソー所属)や岡野知子(同)らを輩出している。 2004年から1年間、デンソー・エアリービーズでコーチを務めたのち、2006年にチャイニーズタイペイ女子ジュニア代表に就任。2009年にはシニア女子代表監督に就任し、同チームを2012年のオリンピック最終予選進出まで導いた〔2012年ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選 公式プログラム 36ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂口憲政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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