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坂口 裕之(さかぐち ひろゆき、1965年8月2日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球指導者。現役時代は俊足好打の外野手だった〔JABA広報事項 〕。 == 経歴 == 高鍋高等学校では3年の時、第65回全国高等学校野球選手権大会に出場。一回戦で旭川竜谷高校に10対2で勝ったが、二回戦で水野雄仁らを中心に『やまびこ打線』と呼ばれる強打を誇った池田高校に0対12で敗れている。高校卒業後は明治大学に進み、1年の秋には六大学リーグ戦に出場して優勝を経験。2年のには秋季リーグ戦で外野手として初のベストナインに選出された。3年秋には再びリーグ優勝を果たし、4年次には主将を任されている〔。 に社会人野球の日本石油に入社。一年目はチームが都市対抗予選で敗退したものの、三菱重工横浜の補強選手として自身は出場を果たした。には主将に就任し、同年の東京スポニチ大会および日本選手権でチームを優勝に導いている。のバルセロナ五輪では日本代表にチームメイトの徳永耕治や若林重喜、小桧山雅仁らとともに選出されている。同五輪では全試合に中堅手として先発出場し、予選リーグ第2戦の対スペイン戦以降は九番を務めた〔別冊宝島、1545号、P.79〕。打率.292で打線の繋ぎ役となり、巧みな外野守備でチームを支えた〔別冊宝島、1545号、P.82〕。 1993年の都市対抗では決勝戦の対日本通運戦で延長11回に盗塁を決めて決勝点となる得点を挙げ〔JX-ENEOS野球部 坂口裕之 〕、自身初となる同大会優勝を果たした。翌年に都市対抗は本大会一回戦、日本選手権は予選でそれぞれ敗退し、同年で現役を引退した。に日本石油の監督に就任するが、前年のドラフト会議では川村丈夫、小野仁、高橋憲幸の投手3名と捕手の大久保秀昭が一斉にプロ入りしており、同年から2年間は都市対抗の予選で敗退している。1999年の都市対抗でベスト8まで進み、に都市対抗出場を果たすと同年で監督を引退した。 その後、には第35回IBAFワールドカップをはじめ、第23回アジア選手権や第16回IBAFインターコンチネンタルカップ、第25回アジア選手権などで日本代表のコーチに就いている。また、からはNHKの高校野球の解説者も務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂口裕之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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