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酒折(さかおり)は、山梨県甲府市の地名。酒折一丁目から酒折三丁目及び住居表示未実施の酒折町で構成される。このうち一丁目から三丁目は、1982年に住居表示が実施されたことによる。2011年9月30日現在の世帯数は980世帯。人口は1,573人〔 町丁別人口・世帯数(平成23年9月末日現在)-甲府市ホームページ(住民基本台帳に基づく),2011-10-27閲覧。〕で、1世帯あたり約1.6名であり、甲府市全体の1世帯あたり平均2.2名と比較して少ない。これは一人暮らしの学生の比率が高いことによるものである。 == 概要 == 甲府市東部、JR中央本線石和温泉駅と甲府駅の中間やや甲府駅寄り、甲府盆地北側山麓に位置する。かつては「山崎石」と呼ばれる安山岩を主体とした良質な石材が産出され、1926年(大正15年)に開業した酒折駅は当初、旅客取扱だけではなく、これら石材・砕石運搬用列車の貨物駅としての意味合いも持っていた。現在は掘りつくされ、ほとんど採石は行われていないが、山肌には大規模な採石場跡が残っており、その名残として現在も複数の石材店がある。 「酒折」の地名は文書においては中世段階から確認されるが、『古事記』『日本書紀』において日本武尊(ヤマトタケル)の東征に関する酒折宮伝承が存在し、現在の「酒折」地名は記紀における酒折宮伝承に比定される可能性が考えられている。酒折宮伝承は甲府盆地北縁地域のみならず古代甲斐国と畿内王権との歴史的背景を反映している可能性が指摘されており、現在の酒折地域も含まれる山梨郡は前期国府の所在が推定されており、古代甲斐の政治的中心地であった。 近世には酒折村が成立し、酒折村は甲府城の西側に成立した城下町(新府中)に至る東側の入口にあたり、近代においても内藤新宿で甲州街道から分かれた青梅街道が、再び甲州街道と合流する地点(二丁目にある「山崎三差路」)であることからも、この地が交通の要所であった。 東西に跨って国道411号線(城東通り〈旧甲州街道〉)及びJR中央本線が通っており、このJR同線南側が一丁目と二丁目、北側が三丁目及び酒折町となっている。地区の北西部にあたる三丁目から酒折町の一部は、甲府市の都市計画により風致地区に指定され、建設物の建築や樹木の伐採などに制限が加えられており、風致地区内には日本武尊由来の「酒折宮」や梅園の「不老園」などの旧跡名勝がある。また、山梨学院大学を中心とする文教地区であることから学生が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酒折」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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