|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 坂 : [さか] 【名詞】 1. slope 2. hill ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 一 : [いち] 1. (num) one ・ 一生 : [いっせい] 1. (n-adv,n-t) whole life 2. a lifetime 3. all through life 4. one existence 5. a generation 6. an age 7. the whole world 8. the era ・ 生 : [せい, なま] 1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed
坂本 一生(さかもと いっせい、1971年4月20日 - )は、日本のタレント、便利屋!お助け本舗の役員。旧芸名は、新加勢大周(しん かせ たいしゅう)、坂本 一世(読み同じ)。番組の企画で大旗 一生(だいきいっせい)に改名したが坂本 一生に戻す。東京都出身。 == 経歴 == 千葉商科大学付属高等学校時代は水泳部に所属し背泳ぎで活躍。高校卒業後、2年間オーストラリアのブリスベンに留学。 加勢大周が1991年4月に当時所属していた事務所『インターフェイスプロジェクト』から独立しようとした際、芸名「加勢大周」の所有権を巡り裁判沙汰となった(認められなかったが、事務所側は芸名を商標登録していた)。インターフェイスプロジェクトは一審では勝訴したが控訴審では逆に敗訴となり、最終的に加勢側の勝訴が確定してしまう。 裁判で敗訴が確定した直後、ちょうど留学先から帰国したところでインターフェイスプロジェクトからスカウトされ、1993年7月7日、加勢大周に対抗する形で新たに「新加勢大周」と名付けられデビューした。ただ、加勢大周をも巻き込んでの騒動となったため、今後の行く末を案じた森繁久彌や二谷英明ら日本映画俳優協会の重鎮らが事務所側を説得に当たったことで事務所側が折れ、7月27日に現在の「坂本一生」に改名した(芸名は坂本龍馬にちなむ)〔週刊新潮2016年2月25日号、p50 - 51〕。同年、「新・○○」で第10回新語・流行語大賞新語部門・銀賞受賞。 「坂本一生」に改名した直後に音楽ユニット維新組を結成して「日本青年館」でデビューライブを開催した。同ユニットではフジテレビのイベント期間限定番組『LIVE UFO』でレギュラー出演するなど好調な走りだしだったが4年ほど活動したのち芸能界を離れる。坂本は、この間の芸能活動について、「すぐに改名させられて、あれは何だったんだという気持ち」や「体育会系の仕事ばかりで、その上とにかく明るい安村と同じで真冬でもタンクトップ姿できつかった」と振り返っている〔。 1999年、佐山聡主宰の格闘技団体「掣圏道」に入門しプロレスラー転向を目指すが断念。中古車販売店でアルバイト、長距離トラックの運転手、スポーツジムのインストラクター、鳶職人、神奈川県鎌倉市のアジア料理レストラン「BLUEPOINT」の店長などを経験したのち芸能界復帰。大型2種免許等、大型自動二輪、玉掛けなど数々の免許を取得。 『週刊新潮』2008年10月30日号では、“「加勢大周」逮捕の陰で「新加勢大周」バイト暮らし”の表題で報じられている。今でも加勢と混同されドラッグのことを聞かれて迷惑している、と語っている〔。 2005年4月、有限会社ハッピープロモーションで芸能活動再開。 2008年4月、松竹芸能に移籍。松竹芸能移籍を機にお笑い芸人としての活動も開始。 2008年11月、TBS系『悪魔の契約にサイン』の企画により「大旗一生」に改名。改名は番組内のみでの企画であった。 2009年7月、松竹芸能を自らやめてフリーとなる。 2010年9月12日、TBS系のクイズ番組『クイズ☆タレント名鑑』に出演。探偵業もしてるという。また工藤兄弟とは当時は仲が悪かったが和解したという。結婚して子供もいたが離婚。 2010年12月1日の『笑っていいとも!』のコーナー「あなたの(おそらく)知らない世界」に探偵業の回で出演。ネームプレートには「坂本一生」と記載された。探偵業については、2011年6月末日をもって閉鎖している。 2011年3月の東北地方太平洋沖地震の際、水戸市内にある友人の経営する会社の敷地内にて、水戸市内災害特設本部をいち早く設立し地域住民と力を合わせ救援活動をし一躍有名になる。前日に友人の自宅を訪れ、翌日に被災していた。 2011年7月 株式会社アシストリンクの役員に就任。「便利屋!お助け本舗」取締役並びに東京杉並店代表として活動を開く… 2015年3月 株式会社アシストリンク役員並びに便利屋お助け本舗を退社。本人が語る退社理由は、出演及び収録に関わっていないが実は『便利屋お助け本舗』はNHKの番組『ドキュメント72時間』内でやらせを行なっており、この事は全く知らず、また以前から自身がテレビ出演のたびにアピールしていた年収(2000万円)とエピソードのほとんどは、会社から渡された想定問答集に沿った捏造されたものであったため〔坂本一生 勤務していた便利屋の捏造告発「年収2000万も嘘」週刊ポスト2015年5月22日号 〕。やらせ番組や記事を見てフランチャイズに加盟した人たちに対し、自らの責任の重さを痛感していたが、今回NHKでも取り上げられたのを見て辞表を提出した、とのこと。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂本一生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|