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坂本昌仁 : ミニ英和和英辞書
坂本昌仁[さかもと まさひと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [にん, じん]
 (n) kernel

坂本昌仁 : ウィキペディア日本語版
坂本昌仁[さかもと まさひと]
坂本 昌仁(さかもと まさひと、1933年12月29日 - )は、元競輪選手日本競輪選手会大阪支部を経て、同会兵庫支部に在籍。日本競輪学校第5期生。同期には加藤晶らがいる。
== 来歴 ==

1956年日本選手権競輪後楽園競輪場)及び全国都道府県選抜競輪神戸競輪場)を優勝。この当時、後に『競輪の神様』と称されることになる、松本勝明京都)の一番のライバルとして君臨した。しかし、とある年の大宮競輪場での競走中に落車し、ゴールの写真判定塔に激突して瀕死の重傷を負った一件が災いし、まもなくトップクラスの座から転落した。その後、再起不能とさえ言われながらもレースに復帰し、1984年6月11日に選手登録削除されるまで、通算728勝を挙げた。
なお、名前の『昌仁』を「まさひと」と呼んだ、当人の現役時代を知るファン、マスコミはほとんどおらず、通常、「しょうじん(あるいは、しょうじ)」と呼ばれていた。
実子の坂本照美(さかもと てるよし)も元競輪選手であり、競輪学校では中野浩一らと同期の35期生。また、孫の坂本匡洋(さかもと ただひろ)もまた、競輪学校第91期生の現役の競輪選手である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坂本昌仁」の詳細全文を読む




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