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坂本 睦子(さかもと むつこ、1915年 - 1958年4月15日)は、大岡昇平の小説『花影』のモデルとなった女性。銀座の文壇バーのホステスで、多くの文化人と関係を持った。 ==略歴== 静岡県三島市生まれ。孤児同然に育った不幸な生い立ちで、1930年、銀座のバー「はせ川」へ女給として出て、直木三十五に口説かれて処女を奪われたという。1931年、青山二郎が出資した銀座のバー「ウィンゾア」に出て、坂口安吾と中原中也が彼女を争ったという。その後、1932年から1936年まで安吾の愛人だったとされるが、菊池寛にも庇護され、小林秀雄に求婚されて、いったんは受け入れたが睦子が破棄し、オリンピックの選手と京都へ駆け落ちしたという。 その後東京へ戻り、番衆町の喫茶店「欅」に勤めたあと、1935年、工場主をパトロンとして銀座に「アルル」という自分の店を持った。時に二十歳。1938年頃から河上徹太郎の愛人となって長く続いた。戦後、1947年からまた銀座へ出て、バー「ブーケ」で働く。1949年には、青山二郎が睦子のアパートに住んでいたこともある。1950年、青山が命名した「風(プー)さん」が開店し、ここに勤めている時、作家としてデビューしたての大岡昇平と関係ができ、大岡のアメリカ留学を挟んで八年近く愛人関係にあった。その後睦子は「ブーケ」の支店「ブンケ」に出ている。しかしために大岡は夫人の自殺未遂のようなことがあって何度か別れを考えたという。 こうした男の文学者、文化人のみならず、宇野千代、白洲正子とも親しかったが、1957年ころ、大岡と別れ、一年後、自室で睡眠薬自殺を遂げた。直後に白洲は『文藝春秋』8月号に「銀座に生き銀座に死す-昭和文学史の裏面に生きた女」という追悼文を書いた(『行雲抄』所収)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂本睦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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