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坂本義邵 : ミニ英和和英辞書
坂本義邵[さかもと よしあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さか]
 【名詞】 1. slope 2. hill 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本義 : [ほんぎ]
 【名詞】 1. true meaning 2. underlying principle
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

坂本義邵 : ウィキペディア日本語版
坂本義邵[さかもと よしあき]
坂本 義邵(さかもと よしあき、明暦2年(1656年) - 享保12年2月16日1727年4月7日))は、江戸時代中期の近江国坂本出身の武士神道学者で、後に陸奥国会津藩士。通称は覚之進〔「足利市史 上巻」では『学之進』とも〕、後に学兵衛。室町幕府最後の将軍足利義昭の子と称する一色義喬(左兵衛、後に和泉とも)の子、一色義房(筑後)の次男で母は柳原氏。苗字は初め「一色」であったが、出身地にちなんで「坂本」に改めた。子に坂本義馮、孫に坂本義辰
== 経歴 ==
吉川惟足に師事して神道を学び、保科正之の神葬の際には吉川従長(惟足の子)と共に神事を執り行った。その後、江戸へ出て軍学を学ぶ。正之の葬儀以降、会津藩と親密だったが、元禄3年(1690年)に会津藩主・会津松平家当主の松平正容により会津に招かれ、正式に20人扶持無役組として仕官する。
元禄8年(1695年)に使番となって役料100石を与えられ、150石の知行を領する。宝永から正徳年間の武鑑に会津藩の城使に「坂本学兵衛」の名があるが、義邵のことである。享保2年(1717年)には鉄砲頭となり、さらに100石を加増されて250石を領す。この頃には諸礼故実にも通じるようになる。享保4年(1719年)にはさらに250石を与えられ500石を領した。享保12年(1727年)、72歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坂本義邵」の詳細全文を読む




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