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坂東 彌十郎(ばんどう やじゅうろう、1956年(昭和31年)5月10日 - )は歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。本名は本間 寿男(ほんま ひさお)。 兄は関西歌舞伎の脇役で活躍した二代目坂東吉彌。長男は坂東新悟。 ==来歴== 坂東好太郎の三男として東京に生まれる。麹町小学校を卒業後、暁星中学校に入学。幼少の頃より背が高くサンマというニックネームもあった。また学芸会など演劇に熱心であった。八代目坂東三津五郎門に入り、昭和48年 (1973) 5月歌舞伎座『奴道成寺』の所化観念坊で坂東弥十郎〔平成19年 (2007) 1月、表記を「彌十郎」と改める。〕を名乗って初舞台。昭和50年1月に三津五郎がフグに中って不慮の死を遂げると伯父の十四代目守田勘彌の門に移るが、2か月後にはその勘彌も急死。その後は三代目市川猿之助門下に移る。昭和53年『五大力恋緘』(五大力)の男芸者、『人情噺文七元結』(文七元結)の鳶の頭で名題昇進。 以降は猿之助一座で立役、敵役、老役と幅広い役柄をこなし、平成10年 (1998) 真山青果賞奨励賞を受賞。また、同世代の十八代目中村勘三郎による「平成中村座」にも参加。平成15年 (2003) 、中村座ニューヨーク公演『夏祭浪花鑑』「鳥居前」「三婦内」の三婦が好評。積極的な舞台活動を続けている。 ==受賞歴== *昭和59年 歌舞伎座優秀賞 *平成10年 歌舞伎座賞 *平成10年 真山青果賞 奨励賞 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂東彌十郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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