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坂田 遼(さかた りょう、1986年10月2日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。 == 経歴 == 出生は神奈川県横須賀市であるが、幼少時に北海道帯広市へ転居し、同市立稲田小学校3年時に野球を始める。 横浜創学館高2年時に県高校野球秋季大会で優勝(当時は5番打者)。同校では高橋徹と同期であった。また、同校の2学年後輩にプロでも同じチームメイトとなる秋山翔吾がいた。住まいを転々としているのは自衛官である父親の仕事の影響である。 高校卒業後函館大学へ進学し、商学科ビジネス・アスリート専攻塾に所属。1年から4番を打ち、北海道六大学野球リーグで2年秋と4年春の2度、首位打者を達成した。走攻守揃った外野手との評を得て、2008年のドラフト4巡目で埼玉西武ライオンズに指名され入団。函館大学硬式野球部史上、初のドラフト指名選手となった。 2009年5月6日、不調の清水崇行と入れ替わりで初の1軍登録。当日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦に代打で登場し、プロ入り初出場を記録した。同月9日の対福岡ソフトバンクホークス戦では7番・指名打者として初のスタメン起用され、7回表に藤岡好明から左前適時打を放ち、プロ入り初安打・初打点を達成した。その後二軍落ちしたものの、二軍では規定打席には届かなかったが3割以上の打率を残した。 2010年7月6日、対オリックス・バファローズ戦で木佐貫洋からプロ初本塁打を放った。翌7日には2試合連続本塁打を放ち、7月11日の対楽天戦では2打席連続本塁打を記録するなど本塁打を量産した。その後打率は低迷したものの、8本塁打・18打点を記録した。 2011年は自己最多の71試合に出場したものの、2本塁打・11打点と結果を残すことが出来なかった。 2012年は16試合の出場にとどまった。 2013年は開幕から好調を維持していたが、5月19日の阪神タイガース戦で盗塁を試みた際に左肘を突いて左肩を脱臼し、出場選手登録を抹消された。8月の下旬に1軍に復帰し、53試合の出場ながら打率.289、6本塁打、34打点と好成績を残した。 2014年は3月25日のイースタン・リーグの東京ヤクルトスワローズ戦の試合前練習中にまたも左肩を脱臼し、4月18日に球団から東京都内の病院で手術を受けたと発表された。一軍での出場は無しに終わった。オフに「31だと怪我が多い」という理由で背番号を88に変更した〔西武が新背番号発表、田辺監督「90」 坂田は外野手で異例の「88」に SANSPO.COM 2014年10月21日掲載〕〔2015年 背番号のお知らせ 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂田遼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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