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坂野 義光(ばんの よしみつ、1931年3月30日 - )は日本の映画監督、先端映像研究所代表取締役社長。愛媛県越智郡桜井町出身。 == 概暦 == 東京都立日比谷高等学校から東京大学文学部美術史科に進む。 1955年(昭和30年)に卒業し、東宝撮影所文芸部に入社。1956年(昭和31年)に演出助手係に移り、助監督を永く務めた。スキューバダイビングの免許を持ち、1961年(昭和36年)から水中撮影班に移る。 映画斜陽に伴う東宝解体期には、水中撮影を生かした映像制作の陣頭に立った。 1971年(昭和46年)に、自ら企画した『ゴジラ対ヘドラ』で、脚本兼任(馬淵薫との共作)で監督デビュー。この作品で怪獣ゴジラに空を飛ばせるというアイディアを田中友幸プロデューサーに無断で通した(田中は撮影途中で体調不良から入院してしまい、坂野がこれ幸いと断行した)ために彼を怒らせてしまい〔朝日新聞 土曜版 2014年1月11日 映画の旅人 ゴジラ - 朝日新聞社〕、「あいつ(坂野)には二度と特撮映画を監督させない!」と激怒した田中は、坂野を終生許さなかったいう。坂野も田中の逆鱗に触れて以後、特撮に一切関わらせてもらえなかった。以後映画監督から、得意の水中撮影を生かし、『野生の王国』などのテレビドキュメンタリー映像に関わる。 1983年、70ミリフィルムを用いた大型映像「ジャパネックス・システム」を開発。 1989年(平成元年)、東宝映像美術常務取締役に就任。1994年(平成6年)まで務める。 2000年(平成12年)、先端映像研究所を設立し、代表取締役に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坂野義光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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