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坊城 俊政(ぼうじょう としただ、1826年9月22日(文政9年8月21日)- 1881年(明治14年)9月16日〔『明治維新人名辞典』78頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・華族。 ==経歴== 山城国京都で坊城俊明の六男として生まれ、父の弟坊城俊克の養子となる〔『公家事典』551頁。〕〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、469-471頁。〕。天保8年3月28日(1837年5月2日)に元服し昇殿を許される〔。安政4年5月15日(1857年6月6日)侍従となる〔。以後、右少弁、蔵人、御祈奉行、左少弁、賀茂下上社奉行、氏院別当、兼右衛門権佐、右中弁などを歴任〔。 慶応3年12月9日(1868年1月3日)王政復古を迎え、慶応4年3月29日(1868年4月21日)参議、右大弁、参与に就任〔『百官履歴 上巻』179-182頁。〕。以後、弁官事、兼内弁事、給禄取調御用掛、大弁、制度分局御用、大嘗会御用掛、式部長などを務め、明治4年8月10日(1871年9月24日)式部頭に就任〔。以後、宮中の祭祀、典礼を司った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坊城俊政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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