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藤原 親信(ふじわら の ちかのぶ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。右京大夫藤原信輔の四男。水無瀬家の祖。 == 生涯 == 久安4年(1148年)に叙爵。以後、備中国、伊予国などの国司や内蔵頭を歴任する。兄達と同様に後白河法皇の近臣として朝廷における地歩を固め、安元2年(1176年)に太宰大弐、翌治承元年(1177年)に従三位に上り公卿に列する。しかし、治承3年(1179年)の治承三年の政変において平清盛によって解官され、一旦朝政からの退隠を余儀なくされる。翌治承4年(1180年)に復帰すると、再び院近臣としての活動に勤しみ、寿永2年(1183年)には正三位・修理大夫、次いで参議に補される。寿永3年(1184年)の一ノ谷の戦いの直前には、法皇の意を受け平宗盛との和平交渉にも当たったと言われる。 その後も文治4年(1188年)従二位、文治5年(1189年)美作権守・権中納言、建久元年(1190年)に正二位、同2年(1191年)には中納言に任ずるが、これを極官として同8年に出家し、程なく薨去した。その子孫は中世から近世において羽林家として家格を保ち、明治維新に至っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原親信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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