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坪井 智哉(つぼい ともちか、2月19日 - )は、東京都江東区〔株式会社スーパーエージェント 〕出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。2014年に現役引退後、2015年からは横浜DeNAベイスターズの一軍打撃コーチを務める。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 墨田シニアおよびPL学園高校では投手として活躍する。 PL学園では1年生の秋から外野手としてベンチ入りし、その後投手として活躍していたがPL学園在学中に甲子園へ出場することはできなかった。野球部の寮では1学年上の入来祐作と同室だった。入来とはプロ入り後、北海道日本ハムファイターズでチームメイトになっている。 高校卒業後は青山学院大学に進学する。青山学院大学時代は、部員の中で1番最後まで個人練習している練習の虫だった。 この事について、「PL学園時代に比べれば練習が全体練習が少ないから楽すぎるくらいだったが、その後の個人練習の時間でどれだけ野球をしてるかでこの先が決まる」と話している。ちなみにこの「全体練習を減らし、個人練習に重点を置く」スタイルは、青山学院大学の伝統。切っ掛けは、「自分たちで練習する時間が欲しい」という小久保裕紀の提言によるもの。 坪井の2学年上に小久保裕紀、同級生に川越英隆、城石憲之、1学年下に井口資仁、高須洋介、澤崎俊和などの選手がいた。 恵まれた環境もあり、練習の結果、1993年に小久保裕紀らを擁して春季1部リーグを制し、 全日本大学野球選手権大会を優勝して大学野球日本一を勝ち取っている。 東都大学リーグ通算86試合出場、286打数70安打、打率.245、7本塁打、47打点を記録。 大学時代に振り子打法に切り替えて手応えを感じ坪井は、1995年秋季のリーグでチームメイトの高須洋介に次ぐ打率.409(リーグ2位)を記録してベストナインに選出された。 ドラフト指名されなかったため、大学卒業後は社会人野球の強豪である東芝へ就職。(東芝での背番号は24) 社会人野球の東芝時代は、主に1番打者として活躍し、第51回東京スポニチ大会で打率.476を記録して新人王を獲得。 第23回社会人野球日本選手権大会でチームは準決勝で敗退するが、坪井は14打数9安打、打率.634を記録して首位打者賞と大会優秀選手賞(外野手部門)に選出された。この年(1996年)の暮れに社会人ベストナインも獲得している。 翌1997年の第24回社会人野球日本選手権大会では準決勝で三菱重工神戸に敗れるが、2年連続で大会優秀選手賞(外野手部門)に選出される。同年、第19回アジア野球選手権大会に出場する日本代表に選ばれた(坪井以外に選ばれた選手に福留孝介・二岡智宏らがいる)。 練習では金属バットを使用せず木製バットを使用していた。坪井は「金属バットはどこに当たっても打球がポンポン飛ぶ。それじゃ、今まで培ってきた技術が失われてしまうから試合以外では使わないようにした」と語っている。 1997年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから4位指名を受け、契約金8,000万円、年俸1,200万円で契約し入団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「坪井智哉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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