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宇都宮 朝末(うつのみや ともすえ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。城井朝房の子。 == 生涯 == 天正16年(1588年)、城井氏の第17代(最後)の当主・城井朝房の子として誕生。所領安堵をめぐる争いで祖父・鎮房と父・朝房は黒田孝高・長政父子に謀殺されたため、身籠っていた朝房の妻・竜子(秋月種実の娘)は英彦山の南の宝珠山に逃れ、朝末を産んだという。 朝末は外祖父の秋月種実に引き取られ、宇都宮姓に復して、後に松平忠昌に仕官し、徳川家康に拝謁して朝末の名を賜った。その際、「そのうち家臣を率いて参陣すれば、関東にて所領を与えよう」と御家再興の手形を与えられ、城井谷の旧臣を集め、大坂冬の陣に再起を懸けた。ところが壊疽となり歩行が困難となってしまったため、参戦できなかった。失意の朝末は旧臣を頼り隠棲し、ほどなく病死した。 子の春房(ほぼ信房、信隆、春房、種房の順に改名した)は、再興運動を引き継ぎ、父祖の地の城井谷を数度訪れ旧臣と交流した。そして、春房の子、信隆(高房)が越前松平家福井藩に召抱えられ、禄高500石(のちに650石)の微禄であったが子孫は同家に仕え明治維新を迎えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宇都宮朝末」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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