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城福 浩(じょうふく ひろし、1961年3月21日 - )は、徳島県徳島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 早稲田大学教育学部卒。家族は妻と一男一女。同じくサッカー指導者である城福敬(仙台育英高校サッカー部監督)は実兄。 == 来歴 == === 選手時代 === 小学校3年生時に兄の影響でサッカーを始めた〔ヴァンフォーレ甲府監督 城福浩さん(52) 世界で戦う夢持って 徳島新聞 (2013年5月24日)〕。周囲が強豪徳島商業を選ぶ中、大学進学のために徳島県立城北高等学校へ進学。同校在学時に国体に2度出場。国体選抜でのプレーが松本育夫の目に留まり3年生時にはFIFAワールドユースに向けた日本代表候補に選出された〔まぐスペインタビュー 城福浩さん 〕。1979年に早稲田大学に進学し、ア式蹴球部で活動。部内ではトリッキーなパスを多用する異端派だったが、宮本征勝監督からは重用され全日本大学選手権での準優勝に貢献した。在部中のチームメイトには吉田靖や関塚隆らがいる。 1983年に富士通に入社し、川崎フロンターレの前身である同社サッカー部で、主にミッドフィールダーとしてプレー。大学、社会人時代とも理論派で鳴らした。主将として臨んだ1989年の第17回JSL2部で、西野朗擁する日立に敗れ1部昇格を逃したことを機に、28歳で現役を退く。以後は社会人クラブチームでもプレーした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「城福浩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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