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基臨尼師今(きりん にしきん、生年不詳 - 310年)は、新羅の第15代の王(在位:298年 - 310年)であり、姓は昔氏。 第11代の助賁尼師今の孫であり、父は(昔)乞淑用飡〔用飡という官位名は存在せず、「角」または「伊」の誤りであろうとされている。(→井上訳注1980 p.66)「角」であれば1等の伊伐飡(別名に角干、角餐)、「伊」であれば2等の伊尺飡(別名で伊飡)と考えられる。詳しくは新羅#官位制度を参照。〕〔『三国史記』新羅本紀・基臨尼師今紀の分注では、(昔)乞淑が助賁尼師今の孫であるともいう。〕、母の名は伝わらない。『三国史記』新羅本紀・基臨尼師今紀の分注及び『三国遺事』王暦では基立(尼師今)とも記される。 ==治世== 300年1月、倭国と使者を交わし、3月には楽浪・帯方〔ここでいう楽浪・帯方は後漢や西晋の郡ではなく、国名であり、黄海北道鳳山郡文井面と沙里院邑とに比定する説が有力とされる。(→井上訳注1980 p.66)〕の2国が帰服してきた。 307年、国号を新羅に戻した〔新羅本紀・基臨尼師今10年(307年)条に「復国号新羅。」とあるが、基臨尼師今までの新羅本紀においては、始祖赫居世居西干即位紀において「徐那伐」と号し(紀元前57年)、第4代脱解尼師今が金閼智を得たとき(64年)に「鶏林」と号したことが見えるのみである。第17代奈勿尼師今の時代に前秦に朝貢してからは「新羅」が国際的に通用する国号となったと見られているが、第22代智証麻立干の時代にも国号を「新羅」と定めたという記事が見える。〕。 在位13年にして310年6月に死去した。埋葬地は伝わらない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「基臨尼師今」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Girim of Silla 」があります。 スポンサード リンク
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