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堀内 元 (ほりうち げん、1964年8月29日 - ) は東京都出身のバレエダンサー・振付家。ニューヨーク・シティ・バレエ団に15年間〔1982年から1996年まで。 cf. "A Conversation with Gen Horiuchi" , ''St. Louis Magazine'', March 2008〕在籍し、プリンシパルとして活躍した。現在は米国セントルイス・バレエ団の芸術監督。俳優の堀内正美はいとこ。 == 経歴 == バレエ団を主宰していた堀内完・秀子の長男として生まれ、6歳でバレエを始める。10歳の頃すでにバレエを志すようになり、自宅のスタジオで毎日稽古をしていた。姉のかおり、双子の弟である充 (じゅう) も後にバレエダンサーとなる。 1979年4月、全国舞踊コンクールのバレエ部門〔年少者を対象としたバレエ第2部門。なお翌1980年のジュニア部門の優勝者は姉の堀内かおり、1981年は吉田都であった。〕で第1位。翌1980年、15歳にしてローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞と振付賞を受賞し、奨学金を得てニューヨーク・シティ・バレエ団 (NYCB) 傘下のアメリカ・バレエ学校に留学した。父親の反対を押し切って2年目も学校に止まり、G・バランシンに認められて在校中の1982年に新作 『ペルセフォネ』 に出演〔cf. NYCB Repertory "Persephone "〕。卒業後に正式にNYCBに入団した。 1983年には 『真夏の夜の夢』 で主役オベロンを踊る。バランシンの薫陶を受けたのは2年弱に過ぎなかったが、巨匠の存在によって当時のバレエ団には張りつめた空気があったと述懐している〔『日本バレエ史』 ダンスマガジン編, 新書館, 2001年。 ISBN 4-403-23089-X, p.286.〕。1987年にはP・マルテンスの新作 『貴族たち』 で主役ウルブリヒトに抜擢された〔cf. NYCB Repertory "Les Gentilhommes "〕。1989年、24歳でプリンシパルに昇格〔"City Ballet Announces Promotions of 16" , ''The New York Times'', 15 June 1989〕。巧みな表現力とテクニックは彼の地でも素直に評価された〔例えば、『ブリキの兵隊 』 のタイトル・ロール。"Kistler in 'Andantino': Deja Vu, but Different" , ''The New York Times'', 21 Nov. 1992。また、『真夏の夜の夢』 主役オベロン役。 "Magic Afoot Again in Oberon's Land" , ''The New York Times'', 11 Feb. 1989.〕。 バレエだけの人間にはなりたくないとの考えからミュージカルにも進出しており、ブロードウェイで『Cats』、 『Song and Dance』〔役の詳細は"Song and Dance, Broadway Production", 1985 を参照。〕に出演したほか、英国のウエスト・エンドでも同様の出演歴がある。 NYCBを退団後、1999年に米国ミズーリ州のセントルイスバレエ団の芸術監督に就任。師匠であったバランシンに倣い、2000年には傘下のセントルイス・バレエ学校のオーナー兼校長となり、人材育成と興行の両面で活動している。ローザンヌ国際バレエコンクールの審査員もときおり務めている。 2015年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。〔http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150312/k10010013131000.html〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀内元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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