翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀内文一
・ 堀内文次郎
・ 堀内昭義
・ 堀内昶
・ 堀内村
・ 堀内村 (山形県)
・ 堀内正人
・ 堀内正春
・ 堀内正美
・ 堀内殿
堀内氏久
・ 堀内氏善
・ 堀内氏弘
・ 堀内民一
・ 堀内汰門
・ 堀内派
・ 堀内照文
・ 堀内由香
・ 堀内甲
・ 堀内省吾


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀内氏久 : ミニ英和和英辞書
堀内氏久[ほりうち うじひさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

堀内氏久 : ウィキペディア日本語版
堀内氏久[ほりうち うじひさ]
堀内 氏久(ほりうち うじひさ、文禄4年(1595年) - 明暦3年8月20日1657年9月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。初名は氏定(うじさだ)〔『寛政重修諸家譜』1007頁。〕。通称は主水。堀内氏善の子。母は九鬼嘉隆の養女。妻は長谷川氏〔。兄に新宮行朝がいる(叔父との説〔あり)。子は氏衡氏成氏勝
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍に属して戦い、戦後に父が改易されたため、紀伊国和歌山に入封した浅野幸長に仕えた。慶長19年(1614年)の大阪冬の陣では豊臣秀頼の招きに応じ、兄の行朝と共に大坂城に籠城した。翌慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、5月7日の大坂城落城に際し、南部左門や刑部卿局らと共に豊臣秀頼の正室・千姫を護衛して徳川方の坂崎直盛の陣に届け、そのまま直盛に従って千姫を徳川家康の本陣まで送り届けた〔。この時家康に拝謁し、戦後はこの功により下総国内に500石を与えられ、徳川秀忠旗本として召抱えられた〔。また、氏久の功により兄の行朝も赦されている〔。大番、次いで二条城の守衛を務めていたが、在任中の明暦3年(1657年)8月20日に63歳で死去した〔。法名は理円。墓所は京都府京都市北区天寧寺。跡は長男の氏衡が継いだ。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀内氏久」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.