|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 堀 : [ほり] 【名詞】 1. moat 2. canal ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside
堀内 護(ほりうち まもる、1949年2月2日 - 2014年12月9日)は、日本の男性歌手、音楽指導者。通称・MARK(マーク)。かつては日高富明と高校時代からの友人松崎しげるともに「ミルク」の一員。その後、日高と大野真澄とガロを結成。 == 来歴・人物 == 東京都出身。「ザ・ティーンズ」、「ザ・ディメンションズ」を経て、由美かおるのバックバンドの「ジ・エンジェルス」〔単にエンジェルスと呼ばれる事もある〕にて、本格的にプロミュージシャンとしての活動を始める。ジ・エンジェルスでは、「白夜のカリーナ」という楽曲でレコードデビューの予定であったが、デビュー直前に敢え無く解散となった。 その後、日高富明と松崎しげるとのバンド「ミルク(ホットミルク)」〔1968年頃結成。バンド名は「ミルク」のほか冬期「ホットミルク」夏季「アイスミルク」と使い分けていた時期があり、1971年2月東芝エクスプレス・レコードからシングル「ハッシャバイ」でデビューしたときは「ホットミルク」。メンバーは流動的でレコードデビュー時は青木たかみち(ギター)、鳥羽清(キーボード)、木下孝(ベース)、原一郎(ドラムス)。〕という名のGSバンドを組んでいた堀内と日高に大野が加わり1970年11月に結成。等を経て、ロックミュージカル「ヘアー」〔1969年9月4日オーディションが行われた。〕(大野真澄とダブルキャストで、ウーフ役〔本公演でこの役を演じることはなかった〕)を経て、1970年、大野、日高とガロを結成。かまやつひろしに見いだされ、同バンドとしてデビュー。「学生街の喫茶店」「君の誕生日」、自身が作曲した「ロマンス」などのヒット曲を出すが、1976年に解散。 ガロが解散した後も「アコースティックサウンド」を追求し、ある少年と「バースディ」を結成し、「デュオ」活動を開始することを発表したが、方向性の違いから、アルバムを出すには至らなく、まもなく解散した。 その後ソロ活動をはじめ、『六夢(りくむ)』、『MARK BRIGHT』などのソロアルバムを発表したが、いずれもヒットにはつながらなかった。そのせいか表立った音楽活動は断念することとなり、新小岩にて、オートテニスセンターを開業。一方で、日高のソロアルバムのレコーディングに参加したり、音楽指導をしたり、ニッポン放送40周年記念ミュージカル(南青山少女歌劇団)、川村カオリなどに楽曲提供をした事もあった。 1994年、「グッド・フレンズ」に参加。CD『ウッドストックの夏』を発表。 2004年、杉山栽一のCD『SO AM I』にギター&コーラスで参加。 2007年6月、30年ぶりにライブ活動を再開する。 2011年、東日本大震災の震災復興チャリティアルバム「STRENGTH by Various Artists for People of Japan」に、「Stranger In The City」が採用された。 2013年、LOVE US ALL(ラバーソウル)を結成。メンバーは、堀内、ブレッド&バターの岩沢二弓、BUZZの東郷昌和。 2014年、ガロ井戸〔メンバーは、堀内と元古井戸の加奈崎芳太郎。〕を結成するが、12月9日に胃がんのために死去〔「ガロ」堀内護さんが死去 65歳、胃がん 日刊スポーツ 2014年12月11日閲覧〕。。 2015年、1月22日、原宿ラドンナにて音楽葬「マーク(堀内護)を偲ぶ会」が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀内護」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|