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堀尾忠氏 : ミニ英和和英辞書
堀尾忠氏[ほりお ただうじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

堀尾忠氏 : ウィキペディア日本語版
堀尾忠氏[ほりお ただうじ]

堀尾 忠氏(ほりお ただうじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名出雲松江藩の初代藩主〔藩主の順番に関しては初代、2代の両説がある(後述)〕。
== 生涯 ==

=== 豊臣政権下 ===
天正6年(1578年)、当時は織田信長の家臣で後に豊臣家三中老となる堀尾吉晴の次男(異説として長男とも)として生まれる。兄・金助(金助は吉晴の弟の子で養子との説もある)が天正18年(1590年)に小田原征伐の陣中で亡くなったことから、吉晴の世子となる。
元服に際しては徳川秀忠から偏諱を受けて忠氏と名乗った〔。類似の例に前田利家から偏諱を受けた南部利直増田長盛から偏諱を受けた長宗我部盛親のケースがあり、大老・奉行の下に大名が統制されていた傍証となっている。慶長4年(1599年)、父の隠居に伴い、遠江浜松12万石を相続する。ただし、中老職を継承したかどうかは不明である。父は隠居料5万石を徳川家康から与えられており、またこの時点ですでに三中老制は有名無実化されていたことから、恐らくは相続していなかったものと思われる。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、家康方の東軍に与して山内一豊と城提供の策を謀議し、また戦前に加賀井重望による殺傷事件に遭遇して負傷した父に代わって、東軍側として関ヶ原前哨戦に武功を立てる〔『シリーズ藩物語 ― 松江藩』P23〕。本戦にも参加したが、こちらでは長宗我部盛親の出撃を牽制したのみで武功を挙げていない〔。戦後、前哨戦における武功を徳川家康から賞されて、出雲松江24万石に加増転封された〔。
ちなみに父・吉晴の隠居料は忠氏の加増転封に伴い収公されている。その後は父と共に協力して藩政を行なった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀尾忠氏」の詳細全文を読む




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