翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀川バス株式会社
・ 堀川七橋
・ 堀川中央館
・ 堀川中学校
・ 堀川中立売
・ 堀川京極
・ 堀川亮
・ 堀川仁
・ 堀川具信
・ 堀川具孝
堀川具守
・ 堀川具実
・ 堀川具親
・ 堀川具雅
・ 堀川剛史
・ 堀川千華
・ 堀川口駅
・ 堀川和洋
・ 堀川哲
・ 堀川哲男


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀川具守 : ミニ英和和英辞書
堀川具守[ほりかわぐもり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
堀川 : [ほりかわ]
 【名詞】 1. canal 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ぐ]
  1. (n,n-suf) tool 2. means 3. ingredients 4. counter for armor, suits, sets of furniture (armour) 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

堀川具守 : ウィキペディア日本語版
堀川具守[ほりかわぐもり]

堀川 具守(ほりかわ とももり)は鎌倉時代中期から後期にかけての公卿太政大臣堀川基具の長男。堀川内大臣と号す。
== 経歴 ==
建長2年(1250年従五位下叙爵。建長5年(1253年)従五位上に叙せられ、侍従に任ぜられる。建長7年(1255年)には禁色を聴され、建長8年(1256年正五位下に昇叙。
正嘉2年(1258年従四位下右近衛中将に叙任される。正元2年(1260年正四位下信濃介となり、文永3年(1266年因幡介を兼ねる。文永4年(1267年従三位に叙せられて公卿に列し、文永6年(1269年)には参議に任ぜられた。文永7年(1270年)には正三位に進み、加賀権守を兼任。文永8年(1271年)には従二位に叙せられ、文永11年(1274年)に権中納言に昇任した。建治元年(1275年)熙仁親王(後の伏見天皇)の立太子に伴い春宮権大夫を兼ね、さらに左衛門督を兼帯した。
建治4年(1278年)に正二位に昇叙。弘安7年(1284年)に権大納言に昇任され、帯剣を聴された。正応元年(1288年淳和奨学院別当に補任され、正応3年(1290年)に大納言に転じた。永仁3年12月(1296年2月)に大納言を辞退するが、永仁6年(1298年)に還任、永仁7年(1299年従一位に至った。
嘉元4年(1306年右近衛大将に任ぜられる。延慶2年(1309年)左近衛大将に転じ、正和2年12月(1314年1月)に内大臣に任ぜられた。しかし翌年これを辞任して、正和5年(1316年)正月19日に病のため出家。法名を覚乗とするが、即日薨じた。享年68。娘の基子後宇多天皇後宮に入り、後二条天皇の生母となったため、具守は天皇の外祖父となった〔だが、基子は父・基具の養女となっていた。〕。また、『徒然草』の作者である吉田兼好は具守の家司であったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀川具守」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.