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堀川 具実(ほりかわ ともざね)は鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。大納言・堀川通具の次男。岩倉内大臣と号す。 == 経歴 == 承元2年(1208年)従五位下に叙爵。承元4年(1210年)従五位上・侍従に叙任され、承元5年(1211年)正五位下に進む。建保2年(1214年)安芸権介に任ぜられた。 建保3年12月(1216年1月)左近衛少将に任ぜられる。建保4年(1216年)には石見権介を兼ね、右近衛少将に転ず。建保5年(1217年)従四位下、建保6年(1218年)従四位上に叙せられ、建保7年(1219年)右近衛中将に転任。承久2年(1220年)正四位下・近江介に叙任された。承久3年(1221年)4月に蔵人頭に補され、同年8月参議に任ぜられて公卿に列した。 承久4年(1222年)従三位・加賀権守に叙任。貞応3年(1224年)正三位に叙せられ、嘉禄元年12月(1226年1月)権中納言に進む。嘉禄3年(1227年)左衛門督を兼ねて、安貞2年(1228年)従二位、貞永元年(1232年)正二位に昇叙。天福元年(1233年)皇后宮権大夫を兼ね、利子内親王に仕える。天福2年(1234年)には皇后宮大夫に転じ、翌年に検非違使別当・中納言を務めた。 嘉禄3年(1237年)検非違使別当・左衛門督を辞任するが、権大納言に進んだ。仁治元年(1240年)大納言に転じ、建長元年12月(1250年1月)奨学院別当に補任される。建長2年(1250年)内大臣に任ぜられるが、6か月後に上表して辞任した。建長3年(1251年)所労により出家して岩倉別荘などで過ごす。文永4年(1267年)には後嵯峨上皇がこの岩倉別荘に茸山叡覧のために御幸を行っている〔『民経記』文永4年9月20日条。〕。建治3年(1277年)4月26日に76歳に薨御。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀川具実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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