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堀江六人斬り事件(ほりえろくにんぎりじけん)は1905年(明治38年)6月22日未明、大阪の堀江遊郭の貸座敷「山梅楼」(やまうめろう)の主人・中川萬次郎が発狂の末に一家6人を殺傷した事件である。5人が死亡、1人に重傷を負わせ、自身は自殺を図ったが死に切れず警察へ自首した〔大阪堀江遊郭の六人殺し 『新聞集成明治編年史. 第十二卷』 (林泉社, 1940)〕。 時は日露戦争真っ只中、ついひと月前に日本海海戦で劇的な勝利、国中が戦勝ムードにみなぎる中で起きた事件は大阪中に衝撃を与えた。なお、この事件で両腕を切断されながらも生存した芸妓・妻吉は紆余曲折のすえに高野山で出家し、名を大石順教と改め、半生を障害者の福祉に捧げた。 == 事件に至るまで == === 萬次郎と山梅楼 === (※年齢は全員数え年) 犯人・中川萬次郎(なかがわ まんじろう。事件当時52歳)は尾張国海東郡福田村の生まれで、実家は尾張徳川家の家来筋〔妻吉自叙伝〕。旧姓は犬飼。幼少期に犬山藩藩主・成瀬長門守の家来、岩田家の養子となり同家の船手役を務めていたが維新後に失業〔大阪府警察史446頁〕。その後帆船の船頭を生業としていた。仕事で大阪に入港するたびに山梅楼に宿泊し、当時の経営者の娘・八重(当時25歳)と情交を深めていき、やがて婿養子に納まる。山梅楼は八重の母お民(おたみ)が女主人として営業していたが1887年に死亡した後は、店の全権は萬次郎が握ることになった〔20世紀にっぽん p.31〕。 しばらくは仲睦まじく円満に暮らしていたが、萬次郎は元来が女好きであり次第に店の抱え芸者に手をつけるなど、女商売にあるまじき行為を繰り返していた。彼は萬次郎を頼って名古屋から上阪した店の芸者・お作となじみ、そのことで八重とゴタついた〔。萬次郎はお作と駆け落ちして北海道に逃げ、2人で数年を過ごす。しかしお作に飽き、1人で大坂に戻ってきていた。 一方、留守を守っていた妻の八重は、女1人では商売が手に余り、客の一人を相談相手にしていた。それを知った萬次郎は、妻と客の「姦通」を言いたて、殴る蹴るの暴力をふるい家付き娘の妻を非道にも追放してしまう。こうして彼は山梅楼を乗っ取ってしまう〔犯罪史98頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堀江六人斬り」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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