翻訳と辞書
Words near each other
・ 堀田明彦
・ 堀田春樹
・ 堀田智之
・ 堀田村
・ 堀田正亮
・ 堀田正仲
・ 堀田正休
・ 堀田正俊
・ 堀田正信
・ 堀田正修
堀田正倫
・ 堀田正功
・ 堀田正吉
・ 堀田正実
・ 堀田正富
・ 堀田正峯
・ 堀田正忠
・ 堀田正恆
・ 堀田正恒
・ 堀田正愛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堀田正倫 : ミニ英和和英辞書
堀田正倫[ほったただしりん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほり]
 【名詞】 1. moat 2. canal 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [りん]
 (n) companion

堀田正倫 : ウィキペディア日本語版
堀田正倫[ほったただしりん]

堀田 正倫(ほった まさとも)は、江戸時代末期の大名明治時代の伯爵下総佐倉藩第6代(最後)の藩主。正俊系堀田家10代。
== 生涯 ==
第5代藩主で幕末の老中堀田正睦の四男。安政6年(1859年)、父が井伊直弼との政争に敗れて失脚したため、家督を譲られて藩主となった。幕府に対する忠誠心は父譲りなのか、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦い後、徳川慶喜に対して朝廷から討伐令が下ると、上洛して慶喜の助命と徳川宗家の存続を嘆願したが、新政府から拒絶されただけでなく、京都に軟禁状態にされた。このため、藩主不在となった佐倉藩は危機を迎えたが、家老の平野縫殿が新政府軍に与して大多喜藩に出兵したため、何とか改易は免れた。
明治維新後は知藩事となった。廃藩置県後は東京に移住し、日本の文化活動推進に貢献した。明治17年(1884年)に伯爵に叙される。明治23年(1890年)、佐倉に戻って私立の農事試験場設立や佐倉中学校(現佐倉高等学校)維持発展に寄与するなど地域の発展に尽力した。1911年に死去、享年61。はじめ母里藩松平直哉の四男正威を養子としていたが、離縁したため婿養子の正恒(蓮池藩主鍋島直柔の次男)が家督を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堀田正倫」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.