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堂園 喜義(どうぞの きよし、1956年6月10日- )は、鹿児島県志布志市(現役当時は、同県曽於郡志布志町)出身の元プロ野球選手。ポジションは投手で、アンダースロー投法であった。 == 来歴・人物 == 鹿児島市立鹿児島商業高等学校では、1年生ながらエースとして全国高校野球選手権大会(第54回)に出場するが、1回戦で優勝した津久見高(大分)にサヨナラ負けした。の夏は鹿児島県予選で決勝に進出するが、鹿児島実業に敗退。またには、第46回選抜高等学校野球大会にも出場し、これまた緒戦で優勝した報徳学園に敗れた。最上級生・エースとして臨んだ同年夏は、鹿児島県予選の決勝で定岡正二を擁する鹿児島実業に0-2で敗北。甲子園で勝利を味わう事が叶わないまま、高校3年間を終えている。 夏、喜義らの2季連続甲子園行きを阻んだ鹿児島実業の控え投手は、喜義の実弟・一広(かずひろ)であった。なお、弟の投法もアンダースローだった。鹿児島実業は仮想・堂園喜義として一広投手を相手に日々、打撃練習を繰り返したといわれる。 前年夏の選手権大会で柳川商(現・柳川高)が「プッシュ打法」を用いて作新学院の怪物・江川卓投手を攻略したが、鹿児島実打線もこの決勝戦で、堂園をプッシュ打法で攻め立てた。スコアは0-2であったが、この2点は8回裏、死四球や敵失などで挙げたもの。因みに鹿児島実打線はこの回、無安打であった。 11月、広島東洋カープからドラフト会議で1位指名され入団した。なお、カープの同年のドラフト3位はこの年、城西高(東京)のエースとして甲子園のマウンドを踏んだ高橋慶彦だった。一方、ライバルの定岡正二も読売ジャイアンツからの1位指名を快諾し、プロ入りを果たしている。 将来のエース候補として期待されたが制球力に課題があり、公式戦で投げる機会に恵まれないまま、オフに現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堂園喜義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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