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堂山 芳則(どうやま よしのり、1951年1月16日 - )は、ホッカイドウ競馬に所属している調教師。北海道帯広市出身〔「杉本清の競馬談義 138」『優駿』日本中央競馬会、1996年9月号、72頁 〕。長男・堂山直樹は元騎手。 == 来歴 == 父の堂山大企知は繋駕速歩競走の騎手を経て平地競走の調教師に転じたが病に倒れ、三男である芳則も1970年から騎手を務めていたが、1980年12月1日に調教師免許を取得し、30歳で父の厩舎を引き継ぐ形で開業した。騎手としての通算成績は、2259戦255勝(うち重賞11勝)〔。 1981年4月26日岩見沢競馬第2競走においてマウタオロシが管理馬初出走、4月28日岩見沢第8競走をハクセカイで制して初勝利を挙げている。 1990年代中盤には西本博厩舎から移籍したササノコバンで道営記念連覇、ブリーダーズゴールドカップでも2着と健闘した。2005年にはモエレソーブラッズで兵庫ジュニアグランプリを優勝しダートグレード競走初勝利を挙げている。2001年のミヤマエンデバー、2010年のクラキンコで、北海道三冠馬を二度手がけた。2009年から2012年まで北海優駿を4連覇している。 中央競馬への遠征では1996年のラベンダー賞をカケノジンライで優勝し、中央初出走ながら初勝利を挙げ、2003年の札幌2歳ステークスをモエレエスポワールで制し、中央重賞初勝利を挙げている。 2015年5月6日門別競馬第2競走をミオネイチャーで制し、通算勝利数がホッカイドウ競馬調教師で史上最多の1394勝となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「堂山芳則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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