翻訳と辞書
Words near each other
・ 堅牢地神
・ 堅牢堅固
・ 堅物
・ 堅田
・ 堅田 (弘前市)
・ 堅田 (砲艦)
・ 堅田元慶
・ 堅田剛
・ 堅田合戦
・ 堅田大責
堅田就政
・ 堅田川
・ 堅田村
・ 堅田町
・ 堅田神社
・ 堅田藩
・ 堅田警察署
・ 堅田郵便局
・ 堅田雅仁
・ 堅田駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堅田就政 : ミニ英和和英辞書
堅田就政[かただ なりまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

堅田就政 : ウィキペディア日本語版
堅田就政[かただ なりまさ]

堅田 就政(かただ なりまさ)は、江戸時代前期の長州藩士、寄組筆頭。湯野領主堅田家2代。
== 生涯 ==
堅田元慶の嫡男として江戸で生まれた。父が病床についた元和6年(1620年)にわずか8歳で元服。元和8年(1622年)に父が死去すると、幼少を理由に減封される。翌年、証人(人質)としての生活を終えて周防国へ帰国する。
寛永2年(1625年)に湯野・戸田筋地・日置(大津郡)4,500石となった。
慶安4年(1651年)に毛利秀就が死去し、嫡男の毛利綱広が跡を継ぐと、長州藩の財政再建のために国司就正の後継として当職となった。同時に当役には椙杜就幸椙杜元縁の子)が任じられた。就政は藩士の生活環境の向上に努め、万治3年(1660年)には当役榎本就時とともに財政再建のために減知されていた藩士の所領を戻し、その上で収入の25%を上納させて負担の軽減を図った。また諸士法度三十三ヶ条を始め、寺社、町方、郡中の法230条を含む万治制法を制定。非常用金の備蓄も行い、長州藩の財政再建に尽くした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堅田就政」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.