翻訳と辞書
Words near each other
・ 堤状隆起
・ 堤玲子
・ 堤田とも子
・ 堤町
・ 堤町 (八尾市)
・ 堤町 (桐生市)
・ 堤町 (青森市)
・ 堤真一
・ 堤真佐子
・ 堤真由美
堤磯右衛門
・ 堤秋琳
・ 堤章三
・ 堤等琳 (3代目)
・ 堤精二
・ 堤義明
・ 堤聖志
・ 堤自動車商会
・ 堤裕貴
・ 堤規至


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

堤磯右衛門 : ミニ英和和英辞書
堤磯右衛門[つつみ いそえもん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つつみ]
 【名詞】 1. bank 2. embankment 3. dike 
: [いそ]
 【名詞】 1. beach 2. shore 3. seashore 
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

堤磯右衛門 : ウィキペディア日本語版
堤磯右衛門[つつみ いそえもん]
堤 磯右衛門(つつみ いそえもん、天保4年2月2日1833年3月22日) - 明治24年(1891年1月28日)は、日本の実業家。日本における石鹸工業の創始者として知られる。
== 来歴 ==
1833年(天保4年)、武蔵国磯子村(現・神奈川県横浜市磯子区)で生まれる。1853年(嘉永6年)、品川台場の建設資材輸送に携わり、磯子村で切り出した材木や石材を品川まで運んだ。1866年(慶応2年)には横須賀製鉄所(後の横須賀海軍工廠。当時は造船所のことを製鉄所と称した)の建設に従事。明治に入り、公共事業の建設請負から物資の製造に転身。煉瓦と、灯台の灯り用の菜種油の製造をはじめた。のちに灯台用油が植物油から鉱物油に変更されたこともあり、1873年(明治6年)には煉瓦と油から撤退。同じ頃、実験を繰り返し石鹸の製造に成功。1874年には現在の横浜市南区万世町に堤石鹸製造所を開設。この時、化粧石鹸の製造もはじめている。当初は経営的に苦戦していたが、明治10年代に入り経営は安定。1881年の売上は2万4千円を超えていた。この頃から日本各地の博覧会で賞を受賞したり、各地からの研修生に技術指導をしたりと大きな役割を果たした。しかし明治10年代後半には同業者の増加やデフレーションなどにより再び経営は悪化、1890年(明治23年)には堤石鹸製造所は操業を停止した。翌年1月28日には堤自身もインフルエンザ服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)18頁〕に倒れ、その生涯に幕を下ろした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「堤磯右衛門」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.